■菊池恵楓園入所者自治会長 志村康さん死去「強制隔離政策は憲法違反」判決引き出す(熊本県)
1日夜、菊池恵楓園の入所者自治会長、志村康さんが亡くなりました。92歳でした。
2001年の5月11日。熊本地裁は、国のハンセン病強制隔離政策を初めて憲法違反と判断し、国へ賠償を命じる判決を言い渡しました。
■原告団・志村康副団長
「本当に勝ったんだと思って法廷内で『やったー!』って」
この画期的な勝訴を引き出した原告の1人が、菊池恵楓園の入所者自治会長・志村康さんでした。
佐賀県で生まれた志村さんは、15歳で菊池恵楓園に入所しました。「うつる病気」として恐れられ、90年に及ぶ国の隔離政策で社会と分断された入所者たち。遺伝するという誤った認識から、子どもを産み育てることも許されませんでした。志村さんは入所者の女性と結婚し、子どもを授かりますが堕胎を強要されました。
■志村康さん
「本来一番喜びの絶頂にあるべきだが、私たちの場合は最悪の結末。今でも申し訳ないという気持ちでいっぱい」
国が浸透させた差別と偏見の理不尽さを、講演などの活動で社会に訴え続けました。
■志村康さん
「もう春ですね。芽吹いてきた」
晩年は趣味の盆栽を楽しみながら、穏やかな暮らしを送った志村さん。地域との交流活動を続ける中で、社会とのつながりを求めてきました。
■志村康さん
「こういう盆踊りを通して、社会にずっとつながっていく。これがあと10年ぐらいは続いてもらいたいと思っています」
5年前の母親の誕生日。志村さんは大切にしまっている手紙を見せてくれました。
■志村康さん
「私『志村』と言ってますが、おふくろは絶対本名で。絶対本名を書いてくる」
「志村康」は、仮の名前。ハンセン病問題の啓発のため、顔を出して活動してきた志村さんでさえ、家族への差別をおそれる思いから今でも本名を名乗れない現実がありました。
この日、志村さんが案内してくれたのは、菊池恵楓園の周りを取り囲む壁。強制隔離政策の象徴として取り壊さずに保存されています。取材中、志村さんは今でも社会との間に壁を感じると口にしました。
Q.志村さんたちの心の中の壁はどうすればなくしていける?
■志村康さん
「それは社会の側が答えを出すべきよ。我々がどうするんじゃない。社会が作ってるんだから」
私たちの社会が差別の壁を作り続けている。そのメッセージを残したまま、志村さんは92年の生涯を終えました。
■志村康さん
「生涯にわたって差別と闘い続ける、こんな人生というのを送らずにすむそういう社会にしてほしい」
(05/02 19:55 熊本県民テレビ)
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