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【25年の歴史に幕】人吉・球磨の月刊情報誌「どぅぎゃん」最終号へ(熊本県)



人吉・球磨で人気の雑誌がある月刊情報誌「どぅぎゃん」。今月が最終号となりました。地域に愛され続けて25年。まもなくその歴史に幕を閉じます。

大人たちからこぼれる笑顔。この日開かれたのは運動会です。主催したのは月刊情報誌「どぅぎゃん」のメンバー。長年どぅぎゃんを支えてきたスポンサーが参加しました。

人吉・球磨で愛されてきた「どぅぎゃん」ですが…
■有地編集長
「どぅぎゃんもいよいよ次の11月号で最終号の300号となります」

まもなく25年の歴史に幕を下ろします。

「どぅぎゃん」が産声を上げたのは2000年6月のことでした。当時デザイン会社を経営していた編集長の有地永遠子さん。前の年に開催された熊本国体で、人吉球磨の観光案内図などを手がけたのが創刊のきっかけだったといいます。

■有地編集長
「国体の仕事が終わった後に、自分が人吉だけしか知らなかったふるさとを、やっぱ同じように他の人たちも知らないんじゃないかなっていうところで」

現在のスタッフは6人。メンバーが変わりながらも人吉球磨の情報を発信し続け地域に寄り添い、名物の「上から見たらここはドコ?」など独自の視点で地域色満載の記事を作り続けてきました。

■有地編集長
「地域の人がわかる笑顔をとっているからいいんだよみたいな。それにいつも立ち返るようにしてるんですけど、この地域の人たちがすごく喜んでくれて、地域を自分たちのふるさと自慢に思えたら」

そんな「どぅぎゃん」に大きな転機が訪れます。2020年7月、人吉球磨を襲った熊本豪雨です。どぅぎゃん編集部も被災しました。それでもスタッフはすぐに現場へ…。翌月の発行を目指して動き出していました。

■有地編集長(2020年当時)
「まずは地元がこういう状況だったということを知ってもらう」

被災者の生の声や再開した店などを取材し完成した紙面。通常の3倍近くの1万3000部が発行され、水害で傷ついた地域の支えにもなりました。実は有地さんは熊本豪雨の前に「どぅぎゃん」の発行終了を考えていました。目の病を患い取材が難しくなったのが理由です。

■有地編集長
「この災害を記録していくことが、自分たちのもう一つの役割なんだっていうのに気づいて、まずは5年は追いかけようと」

追いかけ続けた熊本豪雨のその後。あれから5年―。有地さんは「どぅぎゃん発行終了」を決断しました。そして今、どうぎゃん最終号に向けて準備が進められています。


この日、編集部の山本さんが取材に来たのは人吉市大柿地区。熊本豪雨を受けての治水対策として遊水地の整備が計画されています。地区一帯が水没する可能性があり、今年が最後のコメ作りとなる住民もいます。山本さんは最終号の企画の一つにこの場所を選びました。

■山本副編集長
「特別な声を取材したいとか、そういうことは全くなくて。写真を見てどう思うかは読者側だと思うので、それを考えるきっかけの1枚が撮れれば自分としては十分なのかなと」

最後まで思いを込めて取材を…。人吉球磨に根づき愛された地元情報誌「どぅぎゃん」。惜しまれながらもその時を迎えます。

■有地編集長「やっぱり地域に根付いてたんだな」っていうのをちょっと感じられて、25年本当この地域のことしかやってないけど、それでよかったなっていうのを実感してます」

どぅぎゃんの最終号となる300号は10月20日に発売されます。

(10/15 20:01 熊本県民テレビ)

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