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旧国鉄の食堂車両「サシ481-48」 岩手県盛岡市から石川県小松市へ向け出発 能登半島地震の復興の一助に(岩手県)



 能登半島地震の復興の一助にと岩手から新たな旅立ちです。

 旧国鉄の特急列車で使われ、盛岡市で保管されていた懐かしい食堂車両が石川県小松市のNPO法人に無償で譲渡され、6日、現地に向けて出発しました。

 これが旧国鉄の特急で使われていた食堂車両「サシ481-48」です。

 5日、車両を受け入れる石川県のNPO法人北国鉄道管理局の岩谷淳平代表理事が盛岡市で出発の準備に追われていました。

 記者
「Q、いすが残っているんですね」

  岩谷淳平 代表理事
「昔の食堂のいすです。赤と白、そのまんまなのが本当にすごくて 珍しくって大変なことだと思う。もちろんこのまま使うことはなく、きれいにしたいと思うんです」

 この旧国鉄車両は盛岡市上太田で保管されていました。

 1960年代から80年代にかけて東北や北陸の特急車で食堂車として使われ、1987年、盛岡市の山崎賢一さんが取得し、喫茶店として使われていました。

  山崎賢一さん
「青森駅の構内にあった。見に行ったらこんなにでっかいのどうやって運ぶのか心配して国鉄清算事業団で運ぶ専門の業者がいるからと紹介してもらって運んだ。(近くのグランドで)子どもたちがサッカーやラグビーやったり、親御さんや応援の方々が寒かったり、暑かったりで、ここを提供できたらとそんな思い出がありました」

 しかし、山崎さんは本業の建築業が忙しくなったことから、喫茶店を辞め、「サシ481ー48」は長年、放置されていました。

 おととしの12月28日、石川県で国鉄時代の車両を展示し、地域活性化を図る活動をしているNPO法人「北国鉄道管理局」の岩谷代表が山崎さんのもとを訪れ、古い食堂車両を見学しました。その4日後、能登半島地震が発生しました。

 山崎賢一さん
「間もなく能登半島の大震災があって翌日、岩谷さんに電話して『大変ですねそちらはどうなったんですか』と『(岩谷さんが住む)小松市は大した被害はありません』と岩谷さんこの前、話があった。『食堂車、皆さんの復興のためになるのであれば差し上げます』って言ったんです」

 岩谷さんが作業を始めた翌日、巨大なクレーン車が来て食堂車の搬出作業が始まりました。

 輸送費用はインターネットによるクラウドファンディングで資金を募りました。

 目標金額は500万円でしたが、支援者は407人にのぼり、結局、目標を上回る681万9000円が集まりました。

 岩谷淳平 代表理事
「本当にクラウドファンディングでご支援いただいた方も半信半疑だったと思うんです。ここまで来るのに1年近くの時間を要しましたし、その間、いろいろな方にご指導も頂き、『どうなっているの』という経緯の説明もさせて頂きながら、ようやく今この段階まで来ました」

 長さ20メートル、台車を除いても26トンもある食堂車を吊り上げ、大型トラックの荷台に下ろしました。

  山崎賢一さん
「私たちも経験した三陸沖、東日本大震災 直接私たちは関係なかったんですけど、内陸の人はね、でも親戚とか友達が沿岸にいるから思いは同じです。子どもたちや若い人たちの希望を持てるように役立てればいいかなと岩谷さんの熱意にもほれたんです」

♪ 岩谷淳平 代表理事
「能登半島地震がきっかけで、このご縁を頂きました。その前は東日本大震災を憂えた人が石川県内、北陸にも多数ございましたので、何かこの電車がもたらすもの、かけはしになるものが多々あると思います」

 「サシ481-48」は交通の混雑を避けて夜の9時に出発しました。

 盛岡からまずは陸路・秋田市に行き、そのあと、秋田港からフェリーで福井県敦賀港へ。

 そして敦賀から再び陸路で石川県小松市までおよそ880キロの長旅を終えて、9日、到着する予定です。

 


(12/08 18:52 テレビ岩手)

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