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「キプロス号事件」200年の時を超え子孫が対面 日豪交流の原点として注目【徳島】(徳島県)



江戸時代、牟岐浦沖に一隻の外国船が漂着し、徳島藩の侍たちがうち払いました。

実はこの船には、オーストラリアの囚人たちが乗っていたんです。

日本とオールトラリアのファーストコンタクトではないかと言われるこの出来事、10月16日に約200年の時を超えて、それぞれの子孫が対面しました。

1830年、牟岐浦沖に一隻の外国船が漂着しました。

それは、オーストラリアで反乱を起こした囚人らが奪ったイギリス船籍の船、「キプロス号」でした。

徳島藩の侍たちが上陸を阻止し、うち払ったというこの事件、しかし、長らくこの船の正体は判明しませんでした。

近年になり、出羽島に別荘を持つ郷土史愛好家・ラッセル・ニコラスさんが、県立文書館の協力を得て古文書を調査、キプロス号と特定しました。

(郷土史愛好家・ラッセル・ニコラスさん)
「2017年ぐらいに発見しました。オーストラリアとのファーストコンタクトではないかと思うようになりました」

この発見はイギリスやオーストラリアでも紹介され、特にオーストラリアで注目を集めました。

そして16日、キプロス号に乗っていた囚人たちの子孫と、これをうち払った侍たちの子孫が約200年の時を超え、徳島城博物館で対面しました。

レセプションでは、キプロス号に関する古文書や関連資料が展示されたほか、子孫同士が藍の暖簾やウイスキーなどの贈り物を交換しました。

(徳島藩御目付 速水善左衛門の子孫・速水裕幸さん)
「大筒を撃ったり撃たれたり、それの200年後に当事者の子孫がこういう形で交流するのは、時代の変わった隔世の感がありますよね」

約200年前、徳島の小さな浦にたどり着いた囚人と侍の物語は今、「日豪交流の原点」として密かに注目を集めています。

(10/16 18:04 四国放送)

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