ご昭和ください

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昭和の郵便PART2

2021年11月28日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は、「昭和の郵便PART2」で30分。
 
 
今から40年近く前、高校生から社会人になった頃、やたら雑誌のイラストコーナーに投稿してました。中でも、プロレスが好きな自分は月刊プロレスとゴングが好きで毎回投稿してまして、月間ナンバーワンに選ばれると描いたレスラーの写真が送られて来ました。
 
先週の放送で、郵便物を貨物列車の中で仕分けして運んでたってありましたが、私40年前の学生時代にアルバイトしてました。列車ではなくて郵便局でしてました。内容は徳山郵便局から徳山駅まで、郵便袋をトラックで運んで列車への積み下ろしです。周南地区は徳山郵便局が核になって新南陽、下松、光、岩田、田布施、柳井の郵便局にトラックで運んでました。アルバイト代は当時にしては良かったです。
 
中学2年生の時、喪中だった担任の先生に、年賀状を出してしまいました。私が出した年賀葉書が、お年玉1等の「折りたたみ自転車」の当選番号だったようで、先生が「給料貰うたら、買おうと思うちょったけー、ぶち嬉しいでよ」と大喜びしてくださいました。
 
昭和50年代中学の時、授業中に行われるクラブ活動で「文通クラブ」に入り、海外の人と何度か文通をし、クリスマスにはカードやプレゼントを贈り合った事を思い出しました。
学校で紹介して貰った女の子と文通を始めたのですが、文通のマニュアル本の文例から引用し文面を作る…。とても、とても、自分で英語の文章を作ると言うコトは、出来ません。届いた手紙も辞書を片手に何日もかけて訳すのが精一杯。英語力を上げる…ことにはならなかったです。3年間位で音信不通となってしまいました。
 
中学生になった頃、ラジカセを買ってもらい、ラジオ番組にネタを投稿するようになりました。
中学生の頃は、萩本欽一さんの欽ドン、「欽ちゃんのどんと行ってみよう」に1日に1枚くらい、高校生の時は以前にも書いた、ラジオたんぱでやっていた、大橋照子さんの「ヤロウどもメロウどもOH」に1日に1~2通、出していました。投稿数はさほど多くはないですが、いわゆる「はがき職人」をやっていました。
社会人になってからも投稿を続けていて、その時に役立ったのがエコーはがきです。表面の下半分くらいに色んな企業の広告が入っていて、確か5円安いハガキです。よく寄っていた郵便局に行くと、局員さんから「いらっしゃい。エコーはがき入ったよ」なんて言ってもらってました。
ちなみに欽ドンでは、番組終わりにボツはがきの中から名前だけ読まれるのに2回、「今日の一言」で1回、「あぁ勘違い」で1回読まれました。嬉しかったですね。
 
 
さて、次回12/5も「昭和の郵便」で行きましょう。久々の3週に渡ってのテーマ。まだまだ郵便にまつわる昭和時代のエピソードあるでしょう。
僕も子供の頃、テレビマガジン、てれびくん、コロコロ、ボンボンの懸賞を本気で選んでハガキを送っていたなぁ…当たらなかったけど。昭和時代の郵便の思い出をお待ちしてます!


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