大人の音楽堂 ブログ
TOMMY BOLIN(DEEP PURPLE 4#)
2021年06月14日
1975年12月12日、高校1年の冬、授業が終わって?福岡九電記念体育館に向かう(思い切って新幹線移動)。数々のコンサートに行きましたが、非常に思い出深いコンサートでした。新生DEEP PURPLE、オープニングアクトに四人囃子…なんて豪華なんだろう。夢みたいでした。
四人囃子のライブが開始される直前に到着。強烈な3時間余り…。大音量は相変わらず、ドライアイスの白いスモークがステージの床を覆いつくし雰囲気を盛り上げる。トミー・ボーリンが本来の技術を出せていないなんて、正直分からなかったぐらい、凄いライブだった。確かにジョン・ロードがメインだったことは分かりましたが、そこに新生パープルが居る、ということで大満足。トミーのギターがどうのこうの言う輩は、ただ後のメディア情報を鵜呑みにしているだけだろう。その場にいた私はこんなことはどうでもよい事です。後にバンド側をスルーして儲けだけをモクロミ、中途半端な映像とライブ盤は残念だが、私は気に入っている。
オンエアで1976年1月のロングビーチアリーナのライブ音源をかけましたが、すさまじい様子がよくわかる。特にイアン・ペイスのドラムは神の域に達しています。しかし、その後のツアー中、バンドは解散、トミーは天国へ…。とても残念だが、これが事実。イアン・ペイスとジョン・ロードは新たに「PAL」、デビッド・カバデールは「ホワイトスネイク」、グレン・ヒューズはソロ等…。大きな看板を持ったバンドは解散を簡単にさせてもらえませんが…この大きなバンドがメンバーの「これ以上できない」という言葉で解散。よほど酷かったことがわかる。(後にリリースされる一連の騒動をメンバーが語ったソフトで、そのことがよく分かります。)「紫の炎」というロック史上最も強烈なハードナンバーを作ったのにもかかわらず…あえなく解散…。恐ろしい感じも受ける。
第3期DEEP PURPLEはブラックミュージックに傾倒したバンドに反発し、看板ギタリスト「リッチー・ブラックモア」が脱退、何とかバンドを維持しようとする会社側?白羽の矢が向けられたのは元ジェイムスギャングの「トミー・ボーリン」。個人的には誰でもよかったのですが、4期DEEP PURPLEのラジオから流れてきた「カミンホーム」に、とても興奮したことを覚えています。それまでのDEEP PURPLEの楽曲とはまるで違うストレートなロックンロール、スライドギターをフューチャーした必要以上に長いギターソロが他のバンドとは違う何かを感じさせてくれました。
アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」はそれまでのDEEP PURPLEの作品と比べればタイプが違いますが、単純にひとつのバンドのアルバムとしたら見事な出来であります。制作録音は大変だったと思いますが、私は大好きなアルバムです。未だにDEEP PURPLEだと「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」…をいうのはとても残念です。確かに素晴らしいのですが、バンドは生き物です。進化していくものです。1985年の再結成からの作品の数々…誰も真似できない、素晴らしいアルバムをDEEP PURPLEはリリースしています。その歴史の一角に「トミー・ボーリン」がいます。萩原健一似のこのギタリスト、私にとって特別なのです。
来週は少し渋く「ウォーレン・ヘインズ」加入後の、オールマン・ブラザーズ・バンドを予定しています。
【今回オンエア】
Quadrant 4 Billy Cobham(Spectrum)
Comin' Home 以下Deep Purple
Gettin’ Tighter
Love Child
Burn(1976,Live)
Drifter