ご昭和ください

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昭和の船

2021年11月07日

昭和46年生まれ50歳代、高橋裕です。
 
今週は、「昭和の船」で30分。
 
 
昔、下松市の埠頭から笠戸ドックで働く人のための通勤船が行き来していましたよね。夕方に通勤船が埠頭に接岸すると、たくさんのドッグで働いていた人が船から降りて、ぞろぞろぞろぞろ歩いて家路についていたのをよく覚えております。
 
昭和52年、職場の夜勤者4名で、山口市から大阪へ旅行しようとなりました。非番と休みの1泊2日しか日程がないので、福岡県刈田港から大阪南港へフェリーを使うことにしました。
4人1室で、大風呂もありスナックで一杯飲み、海から瀬戸内の夜景を眺めぐっすり眠ることが出来ました。翌日六甲山や宝塚を観て神戸から新幹線で帰って来ました。
 
私が小学3年生の夏、宮崎県日南方面に家族旅行に行った時の事、「グラスボート」に乗せてもらう予定になっていました。「船の底がガラス張りになっていて、船の中に居ながら綺麗な海の底や綺麗な魚が沢山見れる」と話を聞かされていたので、とても楽しみで色々な想像を膨らませていました。
そして、いよいよグラスボートに乗る日がやって来て、ワクワクしながら乗船、沖へ向かって船が走り観覧スポットへ到着、アナウンスが流れたので、夢中で船底、というか海中を眺めていたのも束の間、ものの5分くらいで船酔いになり、その後はトイレでリバースするなどグロッキー状態。顔を下向きにして必死に集中していたから、あっという間に酔ってしまったのでしょう。
私の「昭和のグラスボートの思い出」は、「船酔いの苦しみ」だけで、綺麗な海中の記憶は殆ど残っていない残念な思い出です。
 
皆さんは民間船でしょうが、私の場合は海上自衛官で海上勤務13年間の間に乗った呉在籍の護衛艦、補給艦、潜水艦救難艦、掃海艇です。
特に新兵の時に乗った潜水艦救難艦は最悪でした。1次防艦で冷房設備は科員食堂だけ、夏場寝る時は3段にゴザを敷いて寝てました。夏場は艦内暖房完備の快適な艦だった思い出があります。
 
まずは、漁船ではなくて公園のボートの話。常磐公園の白鳥ボートです。昭和62年頃です。だんなと付き合い始めた頃、デートで行きました。そして2人でこぎました。初々しいあの頃、なんと楽しかったことか。
そして、漁船のお話。白鳥ボートに乗ったのは秋でしたが、季節は巡り夏になり、だんなが潜るのに私がついて行くことになりました。その頃は小さな木船でした。だんなの祖母の兄弟から貰った船です。名前はだんなの下の名前に丸をつけた◯◯丸。安定感がなく、恐る恐る乗った覚えがあります。
だんなが仕事をしている間、一応、浮き袋を持っていっていたので、海に浸かって浮かんだり、だんながどのくらい潜れるのか計ってみたりしました。潜っている間、浮かんでこなかったらどうしようなんて思ったりして、かわいいもんですね。
平成になり結婚して新しく作った船の名前は、私の名前とだんなの名前の一字ずつを取って付けられました。船の名前に、女性の名前を入れたらいいと聞いた事があります。
 
 
さて、来週11/14のテーマも「昭和の船」で行きましょう。ボート、フェリー、連絡船、渡し船、ラジコンボート、魚釣りetc.昭和時代の船の思い出をお待ちしてます!
 
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画。
今回は「昭和のアクセサリー」
https://www.youtube.com/watch?v=OnIke_dJW_c&t=84s
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