ご昭和ください

毎週日曜日 ひる11:30~12:00

あなたもご一緒に
昭和な話で井戸端会議しませんか!?

日本人誰もが夢に憧れ夢を追いかけてきた、
古き良き時代…「昭和」。
日本人が、もっとも日本人らしかったとも言われる
「昭和」にスポットを当ててお送りする30分。
お相手は、音楽・映像・風俗と
サブカルチャーに詳しい山根由紀夫と高橋裕アナ。
あなたも昭和の世界にタイムスリップ!?

今週のネタ写真

昭和な写真、ネタ、話題、思い出、モノを写した写真を大募集~!!
あなたの投稿ネタからトークが展開していきます!!


採用された方の中から「これは昭和だ!!」という昭和ネタを送ってくれた方に月間賞をプレゼント!!
月間賞は…長崎ちゃんめん・敦煌・カルビ大陸などで使える素敵なお食事券5000円分を2名様!


  • 2024年5月12日

    RN.スマイルとペコさん提供。兄弟は西武と近鉄の帽子。大阪の従兄弟は靴下履いてる

  • 2024年5月12日

    RN.今日も何処かでサンドマンさんの居間に飾ってあるナタリーのパンフレット

  • 2024年5月12日


番組こぼれ話

昭和の故障①

2024年05月01日 更新



ブログ

昭和の 隣の県PART2

2024年05月12日

昭和46年生まれ52才、高橋裕です。
 
今日は「昭和の 隣の県 PART2」で30分。
 
昭和の隣の県。
最初に行ったのは、島根県の津和野です。祖母の家が山口駅に近くにあり、よくSLを見てました。ある年の夏、大阪の従兄弟達と津和野に行く事になって、SLに乗り、車窓から流れる黒煙、忘れた頃に鳴る汽笛に興奮していたのを覚えています。
写真は、仁保駅だと思います。
なぜだか自分はライオンズ、弟は近鉄の野球帽です。
 
隣の県といいますか、青森県の私にとっては、隣の道(どう)、すなわち北海道の話になります。
私が小2だった昭和62年の春、父がいきなり「函館へ行くぞ!」と言い出したのです。
理由は、次の年に廃止が決まった青函連絡船に乗るためでした。
父と私は弘前駅を始発で出発し、青森駅から連絡船へ。船内はまるで祭りのような雰囲気で、野生のカモメやイルカが現れると歓声が上がり、竜飛岬が見えてくると、誰からともなく津軽海峡冬景色の大合唱。
そこから函館をひと通り観光し、夜の便で青森に戻って深夜に帰宅するという弾丸旅行でしたが、最初で最後の青函連絡船、そして初めて見る県外は、何もかもが目新しい物ばかりでした。
 
昭和の終わりに3年間広島に住んでいました。先週の放送のナタリー遊園地で思い出したのは、冬は屋外スケートリンクがあったのです。当時はまだ温暖化とは無縁で、遊びに行った日は雪が降っていてリンクに雪は積もっているし風も冷たくて幼稚園児の娘が寒さに泣き出したので早めに引き上げて帰りました。
 
「昭和の隣の県」で思い出すのが、愛媛県の大野ヶ原です。
中学生の頃、家族全員で行った最初で最後の旅行でした。朝早く出発し、柳井から松山へ、初めて車でフェーリーに乗りました。大野ヶ原で1泊、松山で1泊の2泊3日の旅でした。大野ヶ原の明け方に見た雲海と日の出は忘れられません。
既に、両親は他界しているので、この旅が最後だったんだなーと思い浮かべました。
 
お隣の県ですが、小学6年生の時の修学旅行が広島でした。バスで広島県に入ると、ランボルギーニカウンタックが走っていて、男子は「すげー!かっこいい!」と大興奮でした。当時お隣の県では、山口県では見かけないスポーツカーや外車が走っていて、都会だなとつくづく思いました。田舎の県あるあるでしょうか。
 
田布施町に住んでいた昭和56年前後の話です。
測量士補資格取得の為、受験地の広島へ。(この年は不合格。翌年合格)。
試験後に友達と、『ひょっとしたら“サテライトNO.1”の生録が見れるかも?』ってことで大慌てで第一産業に向かいました。
着いたところものすごい人だかり。。。
デビュー時の“中森明菜”さんがキャンペーンで来店していたのでした。結局、もみくちゃになりながら、後ろ姿しか見れずに、『山口には、アイドルこんよのぉ~!!』と帰りの電車で愚痴ったものでした。
 
さて、次回5/19は「昭和の親切」で行きましょう。
近所にいた親切なおばちゃん、坂道のリヤカーを押してくれる少年、デパートの入口のドアを開けて譲ったらしばらく次々にお客さんが入りつづけたetc昭和の頃の親切話、お待ちしております!


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