ご昭和ください

毎週日曜日 ひる11:30~12:00

あなたもご一緒に
昭和な話で井戸端会議しませんか!?

日本人誰もが夢に憧れ夢を追いかけてきた、
古き良き時代…「昭和」。
日本人が、もっとも日本人らしかったとも言われる
「昭和」にスポットを当ててお送りする30分。
お相手は、音楽・映像・風俗と
サブカルチャーに詳しい山根由紀夫と高橋裕アナ。
あなたも昭和の世界にタイムスリップ!?

今週のネタ写真

昭和な写真、ネタ、話題、思い出、モノを写した写真を大募集~!!
あなたの投稿ネタからトークが展開していきます!!


採用された方の中から「これは昭和だ!!」という昭和ネタを送ってくれた方に月間賞をプレゼント!!
月間賞は…長崎ちゃんめん・敦煌・カルビ大陸などで使える素敵なお食事券5000円分を2名様!


  • 2025年6月15日

    RN.還暦紳士さんが商船高専の実習で世界一周した際に寄ったパルテノン神殿

  • 2025年6月15日

    RN.かづっちさんと妹2人。S52年の正月によそ行きの服でお出かけ

  • 2025年6月15日


番組こぼれ話

昭和の録音②

2025年06月11日 更新



ブログ

昭和の 一生の思い出

2025年06月15日

今週は「昭和の一生の思い出」で30分。
先週、番組のラストで、高橋少年にとっての一生の思い出は“8時だョ!全員集合の公開収録”に行った事と話をしましたら、リスナーの皆さんの中にもいらっしゃったようで…
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和52年。下関体育館に、「ドリフターズ」がやって来たんです。生で見る「8時だよ!全員集合」にドキドキ・ワクワクしました。当時、志村けんさんは、まだ見習いで、前座にチョロっと出て来られました。会場の入り口には、ドリフターズのメンバーが乗って来られたと思われる、アメ車の「サンダーバード」が止まっていました。
 
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
私が小5の時のお正月、当時、静岡県在住でしたが、バスツアーで東京の新宿コマ劇場に、ドリフターズの正月公演を見に行きました。
きっと、席は後ろの方だろうと、オペラグラスを買いました。が、はじっこの方でしたが席は何と3列目!うれしかったですねえ。はじっこの方なので、立ち位置的に私たちの前は、だいたい高木ブーさんでした(笑)。
水芸をするブーさんの姿、はっきり覚えてます。
 
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
「昭和の一生の思い出」は、高校2年の修学旅行で行った大阪万博です。最初に目に飛び込んできた太陽の塔は、今だにハッキリと目に焼き付いています。
アメリカ館やソ連館には入れませんでしたが会場をグルリ廻って世界中を観たような気分になりました。それまで外国の方を見たことがほとんど無かったし、テレビのような画面に短い棒で触れると画面が変わってビックリしたのは、今思えばタッチパネルだったのでしょうか?
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
田舎の山奥育ちの私。昭和40年代の土曜日・半ドンで学校から帰ってお昼は、祖母が作るラーメンでした。キンちゃんラーメンが定番。たまに出前一丁が贅沢でした。
そんな中、中学に入学してはじめて、母にラーメン店に連れて行ってもらいました。初めて見るチャーシューやメンマに感動しました。汁も残さずに全部食べました。本当に上手かったことが今でも忘れられません。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和57年の大学受験。国公立の入試は、当時は前期入試、後期入試なんてのはなく、受験できる学校はひとつだけでした。
共通一次を経て、京都で二日間の2次試験を受けました。
もちろん、インターネットなどもありませんから、合格発表はわざわざ受験校まで見に行くか、合格通知が送られてくるのを待つことになります。
そこで、大抵の受験会場では、大学の学生が代わりに合格発表をみてくれて電報を打って知らせてくれるという有料サービスがありました。学生がやることだから信頼性がイマイチということもあって、私は2つの団体に依頼したのですが、合格発表の日、2通の「サクラサク」の電報を受け取ったときはうれしかったです。一生の思い出になっています。
 
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
自分は二十歳ぐらいの時に和太鼓の「回天太鼓」の演奏チームに入っていました。
もともと音感が全く無い自分でしたが、周りのみんながサポートしてくれて平太鼓のパートを叩かせてもらっていました。
ある時、東京で催し物があり、その一つの演目に自分達が出場する事になりました。
当日、3000人以上のお客さんの前で叩かせてもらい、最後演奏がバシッと決まった瞬間の何とも言えない気持ちと、お客さんからの大歓声は今でも忘れられない思い出です。
 
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
「昭和の一生の思い出」というと、船での世界一周です。商船高専では、卒業前の1年間、船での航海実習があります。最初の半年間は、帆船・日本丸でハワイに行き、後の半年間は、機船・銀河丸での世界一周でした。
東京を出港して太平洋を渡り、ロスアンゼルス、パナマ運河入り口のバルボア、大西洋を渡り、ポルトガル、リスボン、地中海に入り、ギリシャ、ピレウス(アテネの近く)、スエズ運河の入り口、ポートサイド、インド洋を通ってシンガポールの各港に寄港して、東京に帰ってくる、80日間の世界一周でした。
寄港した港では、4日間停泊し、観光したりお土産を買ったりできました。中でも、一番の思い出は、アテネのパルテノン神殿に行ったことでした。
 
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
小学生の頃、コント55号の欽ちゃんが好きで、雑誌に書いてあった住所に年賀状を出してました。
その欽ちゃんがやっていたラジオが「欽ちゃんのドーンと行ってみよう」。番組にネタを考えて送っていました。ほとんど読まれることはなく、最後にボツはがきの名前を読んでくれる時に、確か3回くらい。また、川柳のようなネタでの「今日の一言」に2回読まれました。そして、一番のコーナーの「あぁ勘違い」で1枚だけど読まれたんです。しかも、欽ドン賞をもらいました。普段は五千円なんですが、その日は二人が欽ドン賞だったので三千円を賞品として貰いました。欽ちゃんが僕のつたないネタを読んで笑ってくれた「一生の思い出」です。
 
さて、次週6/22も「昭和の一生の思い出」で行きましょう。高橋少年はもうひとつ。中1の時の夏に富士山に登って山頂で1泊、翌朝ご来光が出来たことですね~。次週も「昭和の一生の思い出」お待ちしています!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=bhcVcclhji0
テーマは「昭和の録音 PART2」
山根さんが見て大笑いしたという、私高橋のデビューしたての頃のVTRが挟んであります!


ご意見・ご感想はこちら
今週のネタ写真募集中
メール:showa@kry.co.jp
FAX:0834-32-9000
ハガキ:〒745-8686 山口放送「ご昭和下さい」係