『赤土山』
山口県の山々の景色にも、削られている山を見かけますが、町へ売られる赤土と、赤土山で生きてきた赤松の悲しい別れの物語です。みすゞさんの心のフィルターにかかると、人間以外の世界にも様々なドラマがあります。私たちの生活に欠かせない土や石たち、そしてそこから栄養をいただき育つ植物たち。私たちが普通に使っていたり、何気なく見つめているものが、とても愛おしくなってきます。
『石ころ』
自分では動かない石、動けない石。この詩は、道を通る人や馬たちをつまずかせる石ころが、けろっととぼけている表情が夕暮れの空に溶けてゆくような、そんな描写です。小学校でのコンサートでよく歌う詩ですが、子どもたちの感想文には、この石ころの「自分では動けない切なさ」を感じてくれていた言葉もありました。もしかすると、動けないから、つまずかせて、「自分はここにいるよ」と話しかけているのかもしれません。
『山の子、浜の子』
町へと出かけた、山に住む子どもと浜に住む子ども。同じ町のはずなのに、「町には何がありました?」という問いに、山の子と浜の子の答えは全く違うものでした。
山の子は山で見慣れた茱萸(ぐみ)の実が道に落ちている風景、浜の子はいつも眺めている空が、道の水たまりに映っている光景です。
私たちの‘視点’は、暮らしている環境に大きな影響を受けて、初めて見る町の印象も、全く違うものになるんですね。ということは、自分が見ていないものを、誰かに「どうだった?」と尋ねても、それがそのまま自分が感じ取るものではないかもしれないんですね。だから、自分で見て感じることと、他人が見て感じることの両方を受け止めること、とても大切だなと思います。
金子みすゞさんの詩の‘視点’には、いろんな人間の立場の視点が描かれています。金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫さんの著書「童謡詩人 金子みすゞの生涯」に記されている、母親ミチさんがよく言っていたとされる「物事をいろんな角度から見つめてごらん」という眼差し。その影響が、この詩にも見え隠れしています。
『燕の母さん』
金子みすゞさんの実家跡に建てられた、金子みすゞ記念館。実はその記念館の通路には、毎年燕が巣をつくり、子育てで忙しいお母さん燕が行き来する光景がとても微笑ましいのですが、この詩を詠んだみすゞさんが、当時暮していた頃にも、同じような光景があったことが、なんとも嬉しい気持ちになる詩です。
ぜひ多くの方々に、当時の面影が今も残る仙崎のまちを、みすゞさんが愛した故郷・仙崎を、いろんな詩を思い浮かべながら散策していただきたいです。
『浜の石』
浜辺にある石を見つめる時、波と重なる石を皆さんはどのように見つめますか?
海の中へと潜る、隠れる、沈む石・・・。
みすゞさんは、「浜辺の石は偉い石、皆(みんな)して海をかかえてる。」と表現しました。
この視点の違いにハッとします。石たちがみんなで海を抱えていると。そう思って見てみると、まるで景色が変わります。見えないけれど、大きな大きな石の器が海の底に見えてきます。物事の視点をちょっと変えてみると、思ってもいなかった立場や状況が見えてくる。これは、私たちの社会を見つめる眼差しにとても大切な要素ですね。
日常の眼差しを、クルっとひっくり返して見つめる金子みすゞの眼差し。いつも、学びの多いみすゞさんの詩です。
『朝顔の蔓(つる)』
朝顔が空へ空へと伸びていく懸命な姿を、金子みすゞさんらしい描写で表現されている詩です。
「伸びろ、朝顔、まっすぐに、納屋のひさしがもう近い。」朝顔へ向けたエールの眼差し。みすゞさんは、人間にも植物にも全てに心を傾けていて、一緒に懸命に生きている仲間のように見つめます。人は、人間以外の姿からも、人として生きるメッセージを受け取ることもありますね。みすゞさんの詩は、そんなメッセージがたくさんあります。健気に頑張る朝顔の伸びる姿は、これからの季節の楽しみのひとつという方も多いのではないでしょうか。自分の思いも重ねながら・・・。
『おねんねお舟』
金子みすゞさんの故郷、長門市仙崎。現在、青海島には橋がかかっていますが、当時は渡し舟で行き来していました。その舟の様子を詠っています。人の営みに欠かせない舟が、荷物を運んで、また新たな荷物を積むまでの間、ゆっくり休憩しています。やさしい波にゆられて、おねんねの様子です。
みすゞさんの眼差しでこの世の中を見つめると、人も物もみんな一緒に生きていて、みんなそれぞれのお仕事を頑張っている光景が優しく映ります。みんなが大切な存在ですね。
『私の髪の』
小さい頃、自分の容姿を気にする気持ちが、とても可愛らしく表現された詩です。自分の素敵なところはお母さんのおかげ。気に入らない、欠点に思うところは自分のせいにしています。でも…そんな欠点にも落ち込まないで、開き直って、受け入れている様子に明るさがあるのが、金子みすゞさんの素敵なところです。
自分の欠点をしっかり見つめて変えていこうという気持ちと、明るく受け止める気持ちのバランス… 大切ですね♪
『月と泥棒』
真っ暗闇に忍び寄る、13人の泥棒。でも…お月さまがその町を光照らし、銀のベールで 包みます。町の中も、泥棒達も全部、銀色に染まったので、泥棒達は逃げる道も忘れ、自分たちが泥棒であることも忘れ、町の果てに行きつきます。 銀のベールから外れた時、ハッと我に返る泥棒達。その滑稽な結末に、さらに朝を知らせる鶏が、「コケッコのバカッコとなく」という表現。金子みすゞさんの詩の中でも、とても面白い、絵本にしたくなる詩の一つです。
悪い心も全て、お月さまの美しい光で忘れてしまうという世の中になったら、どんなに嬉しいでしょうか。ぜひ、皆さんの中の面白い泥棒達の姿を描きながら、この詩を味わっていただきたいです。
『柘榴の葉と蟻』
5月下旬頃から花を咲かせる 『柘榴(ざくろ)』。その花を目指す蟻(アリ)の奮闘のお話です。人間にとっての葉っぱと花の距離と、蟻にとっての葉っぱと花の距離は、とてつもなく違いがありますね。人間が、葉っぱから花に移ろうとしている蟻の姿を眺めていて、すぐ そこなのにグルグルしている様子の時、「そっちだよ、そっちだよ」と言いたくなりますが、人間も同じなのかもしれませんね。人間よりも大きな存在、例えば、スケールを大きくして 宇宙の眼差しがあるとしたら、人間が人生をいろいろと迷いながら生きている姿も、「あっちだよ、こっちだよ」と、見守られているのかもしれませんね。
この詩の結末…実は、とてもクールな終わり方です。クールな現実をみつめる視線もまた、金子みすゞさんの詩の面白さの一つです。
『お菓子』
兄弟がいる人は、子どもの頃、お菓子の取り合いで喧嘩をした人も多いことでしょう。この詩は、お菓子を巡る子ども心の切ない詩です。みすゞさんの詩に触れると、子どもの頃の忘れていた記憶が蘇ったり、重なったりします。大人になっても、そんな子ども心を思い出させてくれて、そして子どもに対して優しくなれるような、そんな詩がたくさんあります。ぜひ、親子で、家族で、いろんなみすゞさんの詩に触れていただきたいです。