
ご昭和ください ブログ
昭和の 庭 PART2
2026年03月22日
今週は「昭和の 庭 PART2」で30分。昭和時代の庭エピソードは多種多様ですね~。
≪昭和38生まれのリスナーさん≫
自分の母方の爺さんは、大工では無かったんですが、住んでいた家も自分で建てて、ひとんがたも建てに行くぐらい器用な人でした。
その母方の家の庭には、爺さんが作った池があり、池の後ろには高さ2メートルぐらいのセメントで作った富士山があったのを記憶してます。
母親が話してましたが「けっして家族からは好かれていなかった」「自由気ままな」爺さんでした。
でも、自分は父親が早くに亡くなってましたので、父親の様な存在で、大好きな爺さんでした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の庭で思い出したのは、「縁側」です。
庭の有るお家には大抵、庭に面した所に板張りの通路がありました。
庭付き一戸建てに住んでいても、庭に向かって腰掛けて、お菓子を食べる、お酒を飲む、等々の話は、今では殆ど聞きませんね。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
当時、中学1年の頃、父の転勤で仙台市から福岡市に引っ越しました。その時の住まい(もちろん賃貸です)は、平屋で庭もテラスがあり、かなり広かったのを覚えてます。そして、この庭には、柿の木があり「柿が食べる事が出来る!」と期待したんですが、父から「後日に、大家さんが来て、柿を収穫するから、勝手に取らないように」とくぎを刺され、がっかりしました。
よく考えたら、そこに約5年半住んでましたが、1回もそこの柿をもらう事もなかったので、母も「大家さん、ケチだったね」と言ったのは、言うまでもありません。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
子供の頃、実家は兼業農家でした。ご近所もほとんどがそうでした。南に向いた家、門田(かどた)と呼ばれる田んぼ。その間に、細長い庭がありました。春には田植え前の苗を育て、秋には収穫した稲を庭で脱穀します。
摘んだお茶の葉や椎茸をゴザに広げての天日干し、家族総出で行う、家中の畳干しも庭でやっていました。ほとんど作業場でした。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
昭和の庭と聴いて、3歳(S46年夏)の時の場面が思い浮かびます。
両親共に花好きで、日除けの為、竹を組んでヘチマを育てていました。実は枯れた後、タワシにして身体を洗っていました。それと手作りの池もあり、お祭りで取った金魚を入れて飼っていました。猫に取られないように金網をかけていました。
さて、次週3/29のテーマは「昭和の屋台」で行きましょう。
今ならキッチンカーなんでしょうが、おでん、ラーメン、焼き鳥、リヤカー、あたりに漂う独特な匂い、チャルメラの音、真っ赤な提灯etc昭和の頃に体験した屋台にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!
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昭和の 庭
2026年03月15日
今週は「昭和の 庭」で30分。今週も昭和時代の庭エピソードがたくさん来ました。
≪昭和39生まれのリスナーさん≫
小学校2年の同級生の女の子の家には廊下に囲まれた"中庭"があり、その中に"鯉"を飼っている池がありました。家の廊下から餌をまくと観たこともない大きい鯉が"バシャバシャ"跳ねて驚きました。また、"ししおどし"も初めて生で見て、"カタン~"とテレビと同じ音がして、彼女曰く、
「お父さん、庭師なの!」と言われ、みんなで、
「庭師っちゃなんじゃあ?」と言ったことを思い出します。
≪昭和28年生まれのリスナーさん≫
私が幼稚園の時に、父親が何を思ったか借家住まいから山口市の龍福寺前の30坪にある平屋のボロ家を買いました。父は空いた所に池が欲しいと休みの日に自分で穴を掘り、セメントを練って瓢箪形の池を造り緋ブナを飼いました。しかし、いつの間にかセメントにヒビが入ったのか、水も緋ブナも無くなりました。その家は中学1年の時に広島に転校する時売りましたが、今は駐車場になっていました。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
私が子供の頃に住んでいた家は、家の周りが田んぼだったので、庭というよりも空きスペースが少しあったのみでした。が、私にとっては貴重な遊び場で、そこで、写真のように走ったり、コマ回しをしたり、ブリキのおもちゃで遊んだりしていました。それから、節目節目に家族写真を撮ったのも良い思い出です。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
庭と聞いて私が思い出したのは日本三名園です。私は、短大の卒業旅行で「金沢の兼六園」に行き、その年の盆休みの旅行で「岡山の後楽園」に行きました。
庭というより庭園ですが、美しく整備された自然の中を歩くのが好きだったのです。ちなみに水戸の偕楽園にはまだ行けていないので、死ぬまでには行きたいと思っています。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の庭」で思い出すのは「流しの庭石販売トラック」です。
昭和53年頃、当時住んでいた愛知県北部には
流しのクレーンつき庭石販売トラックが回って来ていました。ある日、父親が呼び止めて、購入する話しがまとまり、積んでいた1メートルちょっとある庭石1つと小ぶりの石2つを庭に配置してもらいました。父親は小さい庭ながら風情が出たと一人悦に入っていたようです。
さて、次週3/22も「昭和の庭」で行きましょう。
高橋家の細長い庭には端っこに小さな池があって、猫避けで金網をかぶせていました。でも、ちょっと隙間が開いているとうまく避けられて魚を捕られていたなぁ。昭和の庭にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!
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昭和の 1万円
2026年03月08日
今週は「昭和の 1万円」で30分。やっぱり昭和の頃は1万円ってかなりの価値があったんですね。
≪昭和35生まれのリスナーさん≫
私が高卒で入った会社はお給料は課長からの手渡しでした。色々と引かれて手取りは7万円はなかったと思います。それでもトイレにこっそり行って給料袋に聖徳太子の一万円札が六枚あるか確認していました。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
我が家はお小遣いは必要時の申請方式で、毎月決まった金額はありませんでした。高校生になると、春の田植え、秋の稲刈、脱穀、臼挽きを手伝うと、年末に父がお年玉一万円をくれました。もちろん、聖徳太子の一万円です。昭和50年頃の一万円は、今の3万円位じゃないでしょうか。年に一度の楽しみでした。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
小学5年生の時、少年向けの本に載っていた「Nゲージ」と呼ばれる1/150スケールの鉄道模型に憧れた事を思い出します。まるで本物の車両のようなリアルな模型、絶対買うぞと決意しました。
Nゲージを走らせるには、モーターの付いた機関車、レールに電気を流して機関車を走らせるパワーパック、敷くと運動場のトラックのような型になるエンドレスの楕円形のレールのセットが必要でした。調べてみると1番安いディーゼル機関車が3900円、パワーパックが4500円、レールのセットが2300円、合計10700円が必要でした。一応、親に聞いてはみたけど勿論ダメ!!なので、お小遣いを貯めて1万円を目標に貯金する事にしました。その間、お小遣いで駄菓子屋に行ったり友達と買い食いするのも我慢してコツコツと貯金しました。
決意して一年近く経った時、貯金箱の中身とお年玉を足すとようやく目標の1万円が貯まりました。すぐさま櫛ヶ浜にあった玩具店に行き、お目当てのモノを購入。1割引だったので、1万円で少しお釣りが来たのはさらに嬉しかったです。その時の喜びと言うか達成感は今も良く覚えています。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
先週の放送を聴きながら、家の中の片付けをしていました。亡くなった親父の遺品をゴソゴソといじっていると銀行の袋がでてきて、中を見ると聖徳太子の一万円札3枚をはじめ、五千円札が3枚、千円札が9枚、五百円札が2枚、百円札が2枚、合計5万5千2百円が入ってました。放送のタイミングとしてはちょうど次週のテーマを発表している時で、今週のテーマである「昭和の一万円」が発表されたときでした。「こりゃあ、メールせえっちゅうことじゃな」と思ってメールしています。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
5千円札も聖徳太子でしたよね。子供の頃は、1万円札をほとんど見たことがありません。
1万円札を使ったのは中学2年生の時、貯めておいたお年玉で、3万~4万円のラジカセを買ったのが一番最初だったと思います
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の1万円」で思い出すのは「伯父が受け取った1万円」です。新潟県出身の母親の兄=伯父さんは農業をしていて、昭和50年頃、農閑期には名古屋に出稼ぎに来ていました。
両親が出かけた日曜日に甥の私に
「何か美味しいもの食べに行こう」と言って家を出ました。ちょっと先に寄るところがあるからと、寄ったところは質屋さんでした。給料日前で手持ちが無かったのでしょう。伯父さんは腕時計を預け1万円を受け取り食事に行きました。行ったお店も何を食べたかも記憶にはありませんがあの1万円の大きさは忘れられません。
さて、次週3/15は「昭和の庭」で行きましょう。
山根さん家は家具店の店舗兼住宅だったので「庭はなかった~」とのこと。高橋家は狭い庭にビール瓶を逆さに埋めて植栽と歩道の境にしてたなぁ。オヤジが飲んだビール瓶。自分の庭、他人の庭、庭園etc昭和の庭にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!
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昭和の水 PART2
2026年03月01日
今週は「昭和の水 PART2」で30分。今週も昭和ならではの水の思い出が出てきました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「水のみ鳥」です。
小学生の頃、名古屋駅地下街の「王様のアイデア」のお店で初めて見ました。とっても不思議な動く置物でした。その後、飲食店の飾り物として目にしましたが、我が家に来ることはありませんでした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
鹿野の中心部から離れたところに実家がありました。山に秘密基地を作り、田んぼではソフトボールやサッカーなど、地区の小学生や中学生が総出で遊びます。
近所にはお店も自動販売機もありません。
なので、喉が渇いたら誰か家の水を飲みます。
家の方に向かって「水、貰うねー」、そう言い、外の水道を勝手使ってました。蛇口に口を付けて、ガブ飲みです。親切な家では、プラスチックのコップが置いてありました。勿論使わせてもらいました。
小中高時代、水分補給は井戸水でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の水」で思い出すのは「水に溶けるメモ」です。スパイ手帳に挟んで合ったメモです。
水に溶けるメモといっても、要するにトイレットペーパーだったわけですが小学生男子の気持ちを揺さぶるアイテムでした。ただ使い道は特に無いことと、根が貧乏性なので使わないうちに忘れられてしまったと思います。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
前回のご昭和くださいの放送を聞いていると、
「クラブ活動の練習中には水を飲むな」と言われたという事でしたが、私は、ラグビー部で練習中、水を飲むなと言われた記憶はありません。
グラウンドには、散水用の水道が、地面下にあって、練習中、地面にはいつくばって、水を飲んでいました。
練習中の水と言われて思い出すことが一つあります。ラグビーの練習中、何かの事故で、頭を打って、脳震盪になり、頭から水をかけられました。
その後、寮のベッドに運ばれ、数時間後に気付いた時には、記憶喪失で、何が起こったのか分かりませんでしたが、唯一、グラウンドで頭から水をかけられたことだけは、記憶にありました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
大相撲で、なかなか勝負がつかない時、「水入」と言うルールがあります、昭和時代、よく見ましたが、最近ではあまり見かけなくなりました。行事さんが、水入り後、お相撲さんを、初め組んでいた形に、正確に戻し、相撲さんのお尻を、ポンと叩いて、勝負が再開します。
さて、次週3/8は「昭和の1万円」で行きましょう。
聖徳太子ですね~。当時の1万円はいろいろ買えました。お年玉でアルバイトでコツコツ貯めて。昭和の頃の、1万円にまつわる思い出・エピソードをお待ちしております!
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昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月22日
今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。
≪昭和43年リスナーさん≫
昭和の水で、最初に思い出したのは、新幹線の中にあった給水器です。ペラッペラの折りたたんだ紙コップが備えつけられてました。
中1まで静岡に住んでいて、母親の実家のある山口県に新幹線で帰省してましたから、乗った時は、タダの水を、たらふく飲んでました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和55年に高校に入学し、野球部で甲子園を目指しました。練習中は、『水、飲んだら、バテるぞ~!』と、水飲み禁止。トイレに行った時、内緒で、思い切り飲んだ冷水器の水は、最高に美味しかったし、生き返りました。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
私ら世代で水と言えば、「運動の最中には水を飲んだらダメ!!」でしょうね。
中学二年生までハンドボール部に所属していたのですが、特に夏の練習は地獄でしたね。部活が終わると皆んな水道の蛇口に一直線に走り、水道水をゴクゴクと飲んでいました。
今でも良く覚えているのは顧問の先生の言葉。その先生は保健体育の先生だったのですが、「運動中には絶対水を飲むな!!水を飲んだら汗をダラダラかいてバテるだけなんじゃ!!」と、今では信じられない事をいつも言われていました。ちなみに当時は真夏の気温が最高でも32度や33度とかだった記憶があります。今の暑さは尋常ではありませんね。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
「昭和の水」で思い出すのは「水たまりに作るダム」です。小学生の頃、小雨の朝に通学団の
集合場所にできた水たまり。その水たまりの端の少し岸の部分からゴム長靴で土を堀りダムを作っていきます。慎重に土を堀り進めていくと、水たまりの中央に向けてダムができていきます。
長いダムができると鼻高々で、学校に向かうときに
ダムを決壊させるのが子供ながら快感でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の水で思い出したのは、上水道の開通です。
記憶では、住んでいた町に上水道が通ったのは昭和50年頃でした。
それまで我が家ではポンプで組み上げた地下水を使っていましたが、家の中の蛇口の1つが"有料"の上水道になりました。
配管工事費用の問題だったのか、その蛇口は台所ではなく洗面所に有り、母は「この蛇口はおんまり使うんじゃないよ!」と言ってました。
しかしながら、上水道は水圧が他の蛇口の倍くらい有り、子供ながらに「上水道って凄え!」と感動したものでした。
さて、次週3/1も「昭和の水」で行きましょう。山根さんは熱帯魚の水替えは一生懸命にやっていた、夏に冷たい井戸水でスイカを冷やす、噴水を見かけるといつも突っ込むetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月14日
今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。
≪昭和33年生まれのリスナーさん≫
知り合って間もない頃、いいところを見せようと、当時の小郡駅近くにあったフランス料理店に行きました。初めて入った本格的なフランス料理店、メニューは日本語でしたが、書いてあるものがどんな料理なのか、まるで見当がつきません。
財布の中身を考え、二番目に高いコース料理を注文しました。ナイフとフォークは外側から使うということは知っていたのですが、女の子も不慣れな様子で、私がすることを真似てぎこちなく食べ始めました。しばらくして、皿の上に見たこともない丸い巻貝が現れました。女の子が戸惑っているので、「エスカルゴという食用のカタツムリだろう。」と教えたところ、気味悪がって食べようとしません。自分は食べましたが、ニンニクが強くてとても美味しいとは思えませんでした。
≪男性リスナーさん≫
無理をしたデートと言えば、見栄を張り当時の私にとっては高いお店に行って給料の殆どを使ってしまい、次の給料日までの食事が「カップ麺1個」とか、「ご飯を炊いておにぎりのみ」となってしまった事でしょうかね。今となっては良い思い出ですけど。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
6月にお見合いをして7月に初めて花火大会に行きました。張り切って浴衣を着て出かけました。夫はせっかちな性格で途中のアーケード内でもスタスタ歩き、私は慣れない下駄で付いて行っていたら下駄の歯が一本折れたのか外れてしまいした。その頃の私は恥ずかしくて言い出せず何事も無かったようにして、そのままの下駄で花火見物をして帰りました。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
私の無理をしたデートは、20歳の頃に、友達カップルと、彼らに紹介された男性と私とのダブルデートです。男性とは、その日が初対面でしたが、会った瞬間に、ファッションが好みではありませんでした。多分、彼の方も私は好みのタイプではなかったと思います。ボウリングやパターゴルフをしたのですが、友達カップルはイチャイチャと楽しそうでしたが、私は早く帰りたいなあと思っていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
バブルの前後は「デート、イコール 車でお迎え(ドライブデート)」みたいな時代で、
そのためにソアラ、マークⅡ、プレリュード等の女子に人気の車を無理して新車で買う男が私の周りにも多勢いました。それらは当時の値段で350万は したと記憶します。
『デートの誘いは、先ずは車の購入で無理をした後で』、そんな時代でしたね。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の無理をしたデート」で思い出すのは
「ドライブデート」です。
兄の車セリカ1600GTを借りて、ドライブに行った帰りの道、法定速度をぴったり守って走行、
後ろにズラ~と車が並んだのを覚えています。
助手席に乗っていたのは今の妻です。
さて、次週はテーマチェンジ。2/22は「昭和の水」で行きましょう。部活で水を飲ませてもらえなかった、夏休みの水やり当番をすっぽかした、水たまりに足がはまったetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の無理をしたデート
2026年02月08日
今週は「昭和の無理をしたデート」で30分。今週も昭和のデート事情がたくさん出てきました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の無理をしたデートで思い出したのは、
コンサートチケットの調達です。
ユーミンやサザン等のプラチナチケットが手に入ると、デートに誘う口実にもなるので、よくプレイガイドの前に夜中から並んでました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
山口県東部の山間部、おむすび・山賊焼の、有名なお店に彼女と行く約束をしました、その当時、私はまだ車を持っていなかったので、先輩を拝み倒し、アメ車を貸してもらうことになりました。食事を終えてかっこよくアメ車に乗り込みましたが、ハンドルがない、左ハンドルに慣れてないので右側の座席に座り、格好悪かった~。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の無理をしたデートと言えば、
「男が全て払う!」でしょう。
交通費、施設の入場料、食事代、等々、
(女性も一応は出すふりをするものの)
当たり前のように男が全て払っていました。
ワリカンなど提案しようものなら、一発アウトのケースも。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
今の奥さんと付き合ってる時に、小郡にあった巨大迷路に行きまして、
その後お昼に、奮発してステーキを食べに行きました。そこまで高級店ではなかったんですが、ステーキと言うと奮発感がありますよね。
注文したあと店員さんから「焼き加減はどうされますか」と聞かれ、慌てながらも冷静を装い「よく焼いて下さい」と言ったのを覚えています。
と言った様に、昭和の皆様は様々な無理をしてなんとかデートを楽しもうとしていたんですね~。次週2/15も「昭和の無理をしたデート」で行きましょう。次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の栄養 PART2
2026年02月01日
今週は「昭和の栄養 PART2」で30分。今週も昭和の栄養事情がたくさん出てきました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
昭和三十年代に小学生だった時の給食で出た「脱脂粉乳」。
その味から、配膳の時は「多い、多い」の大合唱。
代わりに、みつ豆の時は「少ない、少ない」の大合唱。豆とミカンを数えたり、量を比べて騒ぐのが当時のアルアル。
≪昭和28年生まれのリスナーさん≫
小学生4年までの私は、半ズボンがブカブカのガリガリ痩せで、夕食のおかずも平天とモヤシの炒め物という貧しい生活でした。給食も脱脂粉乳で牛乳も飲んだことがなかったのですが、母親が知り合いからヤギの乳が貰えたと言い、しばらく私に飲ませてくれました。するとブカブカだった半ズボンがピチピチになり、栄養が行き届き私はヤギの乳で育ったようなものです。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
母は、ビタミンB1欠乏症だからといつも麦ご飯を炊いていました。麦が入ってない銀シャリは馴染みがなくて、結婚してからも麦ご飯です。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
「昭和の栄養」と聞いて思い浮かんだのは、黒や茶色や緑色の豆です。私が中学生の頃は給食はなくお弁当だったのですが、母がやたらと「栄養があるから」と言って、お弁当の一角に煮豆を入れていました。私は豆類が大嫌いだったので、必ず残すのですが、必ず入っているのです。好きなものばかりが入っている友達のお弁当が羨ましかったです。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で思い出したのは、子供の頃に風邪を引いて寝込んだ時のフルーツです。
我が家の場合は、主に「バナナ」。
極稀に「メロン」でした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
家の食事のメニューが、野菜のお浸しや煮っころがしのおかずでテンションやや低めの時、母は必ず「栄養があるけー食べんにゃいけん。食べんと強くなれん!」と言って残さず食べさせられました。丁度、テレビで「ポパイ」を放送している頃でしたので、ほうれん草はよく食べされられました。
ポパイは、強くなる為に缶詰のほうれん草を食べてましたが、握力だけで缶詰を潰して開けられるならほうれん草はいらんやろ?!と思ってました。
さて、次週はテーマチェンジ。「昭和の無理をしたデート」で行きましょう。リーバイスとモカシンの靴を履いて白Tシャツ、雑誌で見たファッションでデートに行くのはかなり無理していた高橋少年です。
次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の栄養
2026年01月25日
今週は「昭和の栄養」で30分。やっぱりご昭和世代の皆さんは少しでも“栄養の高いものを”求めていたみたいですね~。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で一番最初に思い浮かぶのは、肝油です。給食で時々出ていて、甘くて美味しかったのを覚えています。また、夏休み前には30粒入りの物が斡旋販売されていました。
≪とあるリスナーさん≫
私が小学生の頃、夏休み前に肝油ゼリーの販売が有りました。ボンタンアメのオブラートを外してカプセル状にしたような物で、1日ひと粒と言われていたのですが、当時甘いお菓子など滅多に口に入らない私は、8月に入る前に殆ど無くなって居ました。
≪とあるリスナーさん≫
我が家には柿の木があり収穫した柿を干して出来た「干し柿をおやつ」として栄養源として食べていました。甘い干し柿はめちゃくちゃ美味しくてお腹も満たされてとても幸せな気持ちになりました。
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
幼いころ、籠に魚の干物を入れて売りに来るおじさんがいました。玄関で母が何か選んでいるのを見ていると、おじさんが「僕、これ食べてみな」と、ちりめんじゃこを一握りつまんでくれました。
私は食べると、「おいしい」と言いました。
おじさんは、「栄養があっておやつにもええからねー」と言い、おじさんの口車にのって、母は紙袋いっぱいのちりめんじゃこを買っていました。
それから、私のおやつは当分、ちりめんじゃこ でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で思い出したのは、父の言葉「魚は小骨も食べろ!」です。
漁港がある町に住んでいたこともあり、我が家の食卓には魚がよく並んでいましたが、
焼き魚、一夜干し、等々、魚は小骨まで食べるのが当たり前でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の栄養」で思い出すのは
「グロ〇サン内服液」です。
ガラスのアンプルに入っているので
プラスチックのカバーをかぶせて、先端をポキっと折ります。穴にストローを差し込んで薬液をチューチュー吸います。ちょっと悪いことをしているような特別感があり、効いた気がしたものです。
さて、次週も「昭和の栄養」で行きましょう。山根さんにとっての昭和の栄養はやっぱり“肉”でしょう!高橋少年も焼肉食べ放題に家族でよく行ったもんなぁ。大工の親父からの指示は「ゆたか、肉だけ食べろ!」でした。
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昭和の理科 PART2
2026年01月18日
今週は「昭和の理科 PART2」で30分。今回もご昭和リスナーさんからのネタがたくさん寄せられました。
≪とあるリスナーさん≫
昭和の理科といえば、うちの学校だけかもしれないけど、小さい木製の四角いイスに座ってましたね。手で触ると指にスイバリが立ちそうで怖かった思い出があります。授業では顕微鏡はハッキリ見えてないのに見えてるフリしてました笑
あと、なぜか理科の先生は小声で黒板に書く字も小さくてクセ字が強かったですね~。あのクセ字を解読するのが面白かったです。
≪とある別のリスナーさん≫
小学校のとき、教室の後ろの棚でカイコを飼いました。餌の桑の葉はみんなで集め、私も桑の葉に似たような葉を見つけカイコに与えたら食べました。ある日学校に行くと、カイコがモスラのような繭を作っていました。それからしばらくした朝、教室に行くと教室は大騒ぎ。繭から蛾が数匹出ていました。その数日後の朝、学校に行くとさらに大騒ぎ。なんと、蛾が卵を入れていた箱に産んでいました。びっしりと。そして、最後の大騒ぎはその後。朝、教室に行くと無数のカイコの幼虫が生まれており、ゾクゾクするような感じだったことを覚えています。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
色が変わるのが不思議で、いろいろな液体につけて試したと思います。 また、色の変化の覚え方として先生が教えてくれたのは「梅干し」でした。
それは「青い梅を赤紫蘇で漬けると赤くなり酸っぱい(酸性)梅干しになる」というものです。 ただ、梅干しはアルカリ性食品との情報をテレビで見たりして、少し混乱した記憶があります。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
理科実験は薬品入れてリトマス試験紙で確かめたり、アルコールランプで熱したり、一番好きだったのは上皿天秤でどの重りをのせたら平行になるのかという実験。ワアキャー言いながら楽しかったのを思い出します。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
小学生の理科室での授業で、たぶんデンプン関係の実験だったと思うんですが、
試験管に唾液を落として化学反応を見る、と言うのがありました。
唾液を試験管に入れるのは、各班とも女子をはじめ男子も恥ずかしくて、なかなか進まなかった中、うちの班はクラスでも優秀なエヌ君が「じゃあ僕がやる」と言って、唾液を試験管に入れてくれました。カッコ良かったです
さて、次週はテーマチェンジです。「昭和の栄養」で行きましょう。昭和の子供は、カロリーオフではなくいかに栄養をとるかでしたね。親戚のおじさんはオロナ〇ンCに生卵を入れて飲んでいた、喫茶店のコーヒーに角砂糖3つ、おかずにケチャップ・ソース・マヨネーズをやたらかけるetc次回もご昭和リスナーさんの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の 庭 PART2
2026年03月22日
昭和の 庭
2026年03月15日
昭和の 1万円
2026年03月08日
昭和の水 PART2
2026年03月01日
昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月22日