ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の慰安旅行、社員旅行

2026年06月21日

今週は「昭和の慰安旅行、社員旅行」で30分。

バスに乗った時点から飲んで目的地についても宴会で飲んで…昭和ならではの空気感たっぷりの話が寄せられました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の慰安旅行・社内旅行」で思い出すのは

映画「男はつらいよ」です。

貸し切りバスの中で流される映画は、なぜか、「男はつらいよ」が多かったように思います。

涙あり笑いありで、また不適切な(エッチな)描写が少なかったからかもしれません。

知り合いの中にも、バスの中で見てから「男はつらいよ」にハマってしまった人もたくさんいました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和63年9月に“瀬戸大橋”を渡りに社員等8名で社員の車3台で『四国旅行☆珍道中』となりました。「こんぴらさん」では借りた杖が折れたり、「かずら橋」では落ちた靴を拾いに渓流まで行ったり、「桂浜」では土砂降りに。さらには「四万十川」では社長の車が行方不明になりかけたりで珍道中でした。時代が良かったのでしょう。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

二十歳の春、専門学校を卒業し就職した建設会社の慰安旅行は2年に1回。旅行代は全部会社持ちです。初めての旅行は四国香川県、金毘羅宮参拝。ベテランの男性添乗員小林さんの引率で、新幹線ひかり号とバスの旅行です。

移動中、夜の宴会、とにかく呑み続ける御一行。到着した観光地もバスで寝たままの者も数知れず。でも、社長は満足気でした。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

私が公務員だった頃、組合でシンガポール旅行に4泊5日で行きました。その頃は円高で「お金持ち」になった気分でした。唯一の心残りが「ドリアン」のニオイがキツくて食べれなかった事です。

 

≪昭和33年生まれのリスナーさん≫

昭和の職場旅行は、全員参加のバス旅行でした。今の貸し切りバスは、後ろが広くなっているサロンカーがあるようですが、昭和50年代は全て前を向いた2人がけの座席で、若者は補助席に座ることもありました。バスが出発するとすぐにビールとツマミが配られ、宴会が始まります。ガイドさんの説明なんて聞いてません。さらに、少し酔ってくると、若いガイドさんに駄洒落や下ネタを連発するおじさんがいたものです。中には、一升瓶を抱えて席を移動し、仕事の説教をする上司もいて、閉口することもありました

 

さて、次週6/28も「昭和の慰安旅行、社内旅行」で行きましょう。若手社員の幹事は大変、先輩のわがまま、飲み過ぎた上司が体調崩すetc楽しい旅につきもののハプニング、昭和ならではのお話をお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。

昭和の真似 PART2

2026年06月14日

今週は「昭和の真似 PART2」で30分。

今週もヒーローや野球選手など、たくさんの真似話が寄せられました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昔のヒーローはマントを着けているのが多かったですよね。黄金バットも、月光仮面も、ゴレンジャーも、ガッチャマンも、ゲッターロボ(ゲッター・ワン)もそうでした。

元気な僕らも風呂敷をマントにして遊んでました。

当時の僕らには、「マント イコール 空を飛ぶための装置」 といった認識があって・・。よく、風呂敷マントをつけて高いところから飛び降りたりしてました。

 

≪昭和42年生まれのリスナーさん≫

トラック野郎と云う映画が流行りまして、これに魅せられた我々の世代は、自転車を飾り付けて、トラック野郎もどきを競ってました。

自分の自転車はウインカーフラッシャーでもなく、到底及ばないものの、ステッカーを貼ったり反射鏡を付けたりして、トラック野郎気分に浸ってました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

昭和の真似ですが、小学生時代によく真似たものがありました。野球選手の物真似なんですが、実はプロ野球選手の物真似ではありません。それは、ドカベンの里中智選手です。

当時、アニメ、ドカベンが放送されており、あのアンダースローに憧れて、よく練習しましたが、なかなか上達しなかったので、上級生の方に教わり、出来る様になりました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

今もしている半袖カッターシャツの縫い代を折り返し着る事。若大将の田沼雄一がしとったのを真似た。中学生の頃から自分でアイロンをあてて折り目もバッチシ。

 

≪昭和37年生まれのリスナーさん≫

昭和40年代の頃は西部劇、マカロニウエスタンが流行っていたこともあって子供用の玩具も安いピストルもたくさん売られていました。

当時はクリント・イーストウッド

リー・ヴァン・クリーフ

ロバート・レッドフォード

何かが好きで早撃ちガンマンの真似をしてました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

日曜日の晩、毎週観ていた番組「びっくり日本新記録」。

ハンググライダーで飛行距離を競う「鳥人間コンテスト」を見たのが中学生の時で、なんか出来そうな気がしました。

小学校の図工で凧を作った事が自信になったと思います。骨組みは竹で、クリスマスケーキを包んでいたビニール風呂敷を羽根に張りました。自作した横幅2m位のハングライダーを、2m位の田んぼの段差を走って飛んでみました。

普通に落下して終わりました。足が痛かったです。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

昭和のマネといえば、短大を出て働いていた銀行の社内旅行の宴会で「課長さんのモノマネ」をしたのを思い出しました。

他の宴会では、島倉千代子さんの「人生いろいろ」をマネて歌った事もあります。昭和の終わりくらいの事ですが、盛大に宴会をやっていました。

令和の昨今、社内旅行とかするのでしょうか?

 

さて、次週6/21のテーマは「昭和の慰安旅行、社内旅行」で行きましょう。仕事先での団体旅行、観光バス、新幹線、行きからビール、宴会芸、観光地でのハプニングetc昭和ならではのお話をお待ちしております!

 

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昭和の真似

2026年06月07日

今週は「昭和の真似」で30分。
漫画のキャラクターの真似、映画スターの真似、先生の真似など、たくさんの真似話が寄せられました。

≪昭和27生まれのリスナーさん≫
赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に出てくる、イヤミのギャグ「シーェ」片腕を上に上げ、もう片方の腕は横に、足は絡ませ「シェー」。何かあるたびに「シーェ」みんなよく真似していました。

≪昭和49年生まれのリスナーさん≫
幼い頃、「ウルトラマン」の大ファンだったので、写真に写るときはいつも初代ウルトラマンの必殺技であるスペシウム光線のポーズを取っていました。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
小5のとき、当時"少年チャンピオン"のマンガ雑誌では、『がきデカ』がヒットしていて、
「死刑!!」と言っては、写真のようなポーズをとっていました。

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の真似」で思い出すのは、小学校の校長先生の真似です。
校長先生は、体育館で行う集会のときに必ず
「はい、先頭の人、黄色い白線まで下がって」と言うのです。
その場では誰もつっこめないので、後から友達と
「はい、先頭の人、黄色い白線まで下がって」と真似っこしていました。

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の真似というと、私が高校に入学した昭和49年、ブルース・リーの訃報と共に、一気にカンフーブームが巻き起こりました。
クラスのガリ勉野郎以外の殆どが「アチャ〜!アチャ!」とふざけて真似をしていましたが、更にモノマネだけでなく、決闘するわけでもないのにヌンチャクを自作していた奴がクラスで推定10人位はいました。私も自宅の農機具小屋の鍬の柄を切って作りましたが、硬くて頭に当るとたんこぶが出来ました。

さて、次週6/14も「昭和の真似」で行きましょう。西部劇ガンマンを真似した、アイドルの真似を、物真似が絶品の部活の先輩がいたetc昭和の頃に色々真似をした思い出・エピソードをお待ちしております。

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昭和の続・失敗した買い物PART2

2026年05月31日

今週は「昭和の続・失敗した買い物PART2」で30分。

今週も皆さんの“後悔先に立たず話”がたくさん寄せられました。

 

≪昭和35生まれのリスナーさん≫

ジャンプとかの裏表紙の通販に出ていた「マッチ半田」と言うのを買いました。電子回路とかは分からないんですが、半田付けとか興味ある中学生だったんで、注文しました。当時って、お金じゃなくて代金分の切手を送ったりしてましたよね。

電子回路のキットを買ってきて、マッチの火でその半田を溶かしてみてたりしたんですが、基盤側に熱が伝わらないんできちんと付く訳もなく、マッチ半田もちゃんと溶けないんで、全く役に立ちませんでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の失敗した買い物で思い出したのは、押し売りです。ウチの親父は押し売りによく押し切られる人でした。大抵は父が買いそうになるのを母が止めて事なきを得るというパターンでしたが、父が一人の時は大抵アウトでした。

寿司おけ、おひつ、地球儀、等々、

今、思えば「誰がいつ使うんだ?」的なモノをよく買ってました。そんな押し売りも、いつの間にか来なくなってしまいましたが。。。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

昔ある雑誌に、育毛剤の使用後の頭髪の写真がふさふさになっているのを見て、ちょっとお高めでしたけど購入を決めました。2ヶ月ぐらい使用しましたが1ミリも変わりませんでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の続・失敗した買い物」で思い出すのは

『ベルボトムパンツ』です。

昭和55年、高校一年生のとき、

中学時代の丸刈り頭から解放されて、色気づき

初めて一人で個人の洋品店に行きました。

店の人に勧められるまま購入したのは、「黄色のベルボトムパンツ」1本。到底、家には合わせる服など無く、タンスに眠ることになりました。

 

≪昭和41年生まれのリスナーさん≫

20歳過ぎた頃の話。妹と大阪に旅行して、アメリカ村を歩いていると、若い女性が皆、超短い革のホットパンツをはいて闊歩していました。思わず自分も欲しくなり、目についたショップに入って試着しました。店員さんも妹もこぞって「似合う、似合う」と褒めるので、気分が上がり、すぐに購入しました。

ところが、地元、山口県に帰宅すると、いないのです。革のホットパンツを穿いた人が全くいないのです。家の中では穿けても、外に穿いて出る勇気がなく、タンスの肥やしとなったのでした。失敗でした。確か9800円位だった気がします。

 

≪昭和53年生まれのリスナーさん≫

昭和の失敗した買い物はカラオケ大好きの父が,

突然、買ってきたカラオケ機です。家でよく歌ってましたが、とてもうるさくて、外にもダダ漏れ。

ご近所さんに迷惑かけているのではと気が気ではなかったです。現在、全く使っておらず邪魔なので早く処分したいです。

 

さて、次週6/7のテーマは「昭和の真似」で行きましょう。近所の憧れのお兄さんをマネして帽子を買った、優等生のマネして鉛筆を高いヤツに変えた、巨人の原さんのマネをしてバッターボックスに立った、母が「まちこ巻き」をマネしてスカーフを買ってきたetc昭和の頃に色々真似をした思い出・エピソードをお待ちしております。

また、山根さんご希望の「先祖代々伝わっている物の写真」も待ってま~す。

 

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昭和の続・失敗した買い物

2026年05月24日

今週は「昭和の続・失敗した買い物」で30分。

皆さんの後悔話がたくさん寄せられました。

 

≪昭和50生まれのリスナーさん≫

昭和24年生まれの父。自分が小3の時に、家族に何も言わず独断で一戸建てを購入し、家族からブーイングでした。

 

≪昭和31年生まれのリスナーさん≫

今は亡き義理の母のことなんですが、私達夫婦が勤めで居ない日中のこと、義母は友人といわゆる 悪徳商法に参加したらしく高額なお布団を買ってたようで。

ある日、義理の母から「息子には言うちゃあいけんよ、実は…」と打ち明けられたことがありました。そのお布団は、結局使った形跡がなく、ずっと義母の部屋の押し入れに入ってました。亡くなってから 遺品整理をするときに夫にその話をすると、夫は「そねぇな金があったらワシにくれりゃあエかろうに」と笑ってました。

 

≪昭和30年生まれのリスナーさん≫

昭和60年頃、原油タンカーでインドネシアの港に入港しました。

タンカーが港に入港すると、木彫りの人形などの土産物を乗組員に売りに来る商売人がいます。

この時には、たくさんの籐椅子の写真を持ってきて、買いたい人がいたら現物を持ってくると言っていました。その写真の中に、高さ1.5メートルぐらいの大きさの籐のロッキングチェアーがあり、15,000円と書いてありました。私は「5000円なら買うよ」と言うと、しばらくして、その商売人が、現物の大きなロッキングチェアーを持ってきて「5000円でいい」と言っていました。5000円ならいいかと思い買いましたが、驚いたのは、船が日本に帰ってからでした。

三重県の港に入港して、代理店に「この籐椅子を送りたい」というと、「これは高いですよ」と言われましたが、請求書には「14,000円」と書かれていました。更に問題は、家に着いてからです。

船の上では、ちょっと大きいイスでしたが、小さい家に持ってくると、こんなに大きいイスを置く場所が見付からず、結局、大きい家に住んでいる友人に、タダで譲りました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

中学1年生の時、セールスの人が我が家に来まして、英語のカセットテープ24巻、確か、20万円くらいしましたかね。

『聴いたら、英語が話せるようになるんかいな?』と思い、買ってもらいました。

最初の1本目を聴いたら、わけがわからず、耳がついていかず、2本目からは、全く聴きませんでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

『ぶら下がり健康器』です。

家族の誰も継続使用できなかったので

すぐに使わなくなり洋服ハンガーになってしまいました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

昭和11年生まれの父のことです。

私が小6の頃、ルームランナーを買いました。ルームランナー機能を外すと腹筋ができ、縦置きにすると懸垂ができるという物で、お昼のワイドショーで売られていました。父が「どうしても欲しい」というので、家族でお年玉やら母の給料やら出しあって買いました。

だいたい何でも長続きする父ですが、これだけは文句が多かった。1週間ぐらいは黙ってやってましたが、やがて「わしゃー腹が出とるけのう、手がたわんのじゃ」と言って腹筋をせず、「ハァこりゃあキツイ」とぼやいては懸垂もやらず、ルームランナーそのものもサボるようになりました。気がついたら部屋の片隅で父の服が掛けられていました。勿体ないというか、子供心にモヤモヤしました。

 

さて、次週5/31もテーマは「昭和の続・失敗した買い物」で行きましょう。ついつい背伸びして買ってしまったもの、ちょっと広告に惹かれて買ったものなど、 後悔が先に立たなかった買い物のエピソードをお待ちしております!

 

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昭和のテープ PART2

2026年05月17日

今週は「昭和のテープ PART2」で30分。補修するテープ、別れの紙テープなど、いろいろありました。

 

≪昭和31生まれのリスナーさん≫

昭和のテープで重宝したのが『ダイモテープ』です。アルファベット・カタカナ・数字が打てて

カセットテープのケースに貼って使ってました。

銀玉鉄砲のようなものの上に丸い型板をはめて打ちたい字をセットし、引き金を引くとテープに字が浮き出る物でした。

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

昭和のテープで画期的と思ったのは、コンビニのおにぎりの包み紙のテープです。真ん中のテープを引っ張って、包み紙を両端に引っ張る。おにぎりに乾いた海苔を巻いて食べられるのも新鮮でした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和のテープ」で思い出すのは、『火薬紙テープを使うおもちゃの鉄砲』です。ブリキの鉄砲に赤い火薬紙テープをセットして引き金を引くと紙テープの火薬部分が叩かれます。すると「パン!」と音がして、火薬のニオイがするおもちゃの鉄砲です。

1発打つと紙テープが自動的に送られて連射もできました。陸上競技のスターターピストルの小さい音版でしょうか。単純な作りでしたがインパクトがあり、男の子の魂をゆさぶるアイテムでしたね。

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

小学生の頃、新聞紙を丸めて、その頃にあった紙で出来たテープ(セロハンテープの紙版)でぐるぐる巻きにし、野球のボール大にしてバッターとピッチャーだけでの野球をやってました。打ってるうちに形が変わってきて、思いもよらない変化球になったりしました。

 

≪昭和25年生まれのリスナーさん≫

昭和38年、私が中学校の二年生の時、三八豪雪といわれる大雪の年。正月になっても遊ぶものがないからと、姉と二人で大雪の中を歩いてトランプを買いに出かけました。膝まではまり込む雪の中を片道4kmの山道を歩きました。ようやくの思いでたどり着いたお店にはあいにくトランプはなくて百人一首がありました。仕方なくトランプの代わりに

買い求めた百人一首。それが何年も何年も長く、楽しませてくれるとはその時は思いませんでした。

やっているうちに歌を覚え、白熱した戦いになったものです。繰り返し使っているうちに、百人一首の入っている箱も傷んできて、それを修理、補修したのがビニールテープです。当時はビニールテープもまだ珍しいくらいでしたが、箱をぐるりと巻いて補強しました。そのおかげで今に至るまで何とか持てています

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

母の実家は境港の、隠岐の島へ行く大型船の発着場の近くでした。その祖父母の家に行ったときに偶然目にしたのが、隠岐の島へ行く船と見送りの人を結ぶ紙テープでした。たぶん、隠岐の島に赴任する学校の先生とか、色んな仕事で転勤する人だったんでしょうね。

 

さて、次週5/24のテーマは「昭和の続・失敗した買い物」で行きましょう。

これまで「迷った買い物」「思い切った買い物」がありまして、そこでも出てきたかもしれませんが、“こりゃ~失敗した”“安物買いの〇〇失い”など後悔が先に立たなかった買い物のエピソードをお待ちしております!

 

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昭和のテープ

2026年05月10日

今週は「昭和のテープ」で30分。録音やくっつけるなど、いろいろありました。

 

≪昭和31生まれのリスナーさん≫

小学校2年からメガネをかけていました。あの頃のメガネはカドが折れやすく白いばんそうこうテープで補強していましたが、めがね再々買い換えられないので、集合写真で映っているのが嫌な思い出です。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和のテープで思い出すは、バドミントンラケット用のタオルグリップテープです。

バドミントン部に所属していた高校時代、ラケット素材の主流がウッドから金属へ移行する時期と重なってました。軽い金属ラケットを使う方が何かとメリットが多いんです。ラケットが軽くなると、スイングスピードが増すので、汗に寄るすっぽ抜け防止のために、タオルグリップテープを巻くことも当たり前になっていきました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和のテープ」で思い出すのは『マジックテープ』です。中学生で買ったサイフは小銭入れのフタの開閉部分と全体を畳んで留める部分がファスナーやボタンではなくマジックテープでした。

開け閉めのときに、ベリベリと音がしました。

また、長い間つかっていると毛羽立ってきて、くっつきが悪くなりましたね。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

「昭和のテープ」と言ったら「ハエ取りリボンテープ」です。光沢のある茶色いテープです。使用後はドン引きしますが、環境に優しいSDGsなアイテムです。まだ現役だそうです。ちなみに出身高の正門前に本社、工場がありました。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

ものまね芸人の清水あきらさんが、谷村新司さん、研ナオコさん、顔の特徴をセロハンテープを貼って、面白くしていました。中でも、研ナオコさん鼻の穴を、上向きに、テープを貼って似せたのは、笑いました。

 

さて、次週5/17も「昭和のテープ」で行きましょう。絆創膏、ビデオテープ、ビニールテープ、ラベルテープ、紙テープなどなど。昭和の頃のセロハンテープやビニテは、剥がし目がどこなのかよくわからくなって爪を立てて探していたなぁ。

次回も昭和の“テープ”にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています。

 

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昭和の新品2

2026年05月03日

今日5/3は昼の通常放送の他に、夕方6時から「ご昭和ください傑作選」も放送!なんと3本分のご昭和くださいをお楽しみいただきます。

さて、今週は「昭和の新品 PART2」で30分。今週も新品が来た時の嬉しさの話がたくさんです。

 

≪昭和27生まれのリスナーさん≫

昭和では買った物に、購入年月日と名前を書いていました。

名前は、私物の場合は氏名で共用物は共用名。

油性ペンが無かったので墨を使って書く、ソロバンは縁が黒だったので、名前を彫ってもらったかな。

今では見掛けないけど、自転車は住所・氏名・電話番号を前の泥よけに購入店で書いて貰い、不慮の時に備えていました。

昭和生まれは何にでも名前を書く。

イニシャルの場合も有ったかな。

 

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫

昭和の新品。子供の頃、新しい靴を買ってもらって履く時の事を思い出しました。

新しい靴を買ってもらうとすぐに履きたくなり、座敷の上で履こうとすると、ばあちゃんが「家の中で新しい靴を履くのは人が死んだ時じゃから縁起が悪いからやめんさい!!」と怒っていました。その時は何で縁起が悪いのか分かりませんでしたが、お葬式の出棺の時に新しい靴で座敷に上がったりするので、たぶんその事だったんでしょうね。

あと、新品の靴を履き始める時。夜に新しい靴を下ろすな!と、これもばあちゃんがよく言っていました。やむなく履かなければならない時は靴の底をマッチやライターの火で軽く炙って、それから履くようにと言い聞かせられました。どちらも迷信なのでしょうが、大正生まれだったばあちゃんはこういうのに厳しかったなーと、ふと思い出しました。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

中学生になって女子テニス部に入部しました。休みに部活の仲間とサイクリングに行こう、となって集合場所に親の自転車で来ていたのは私だけでした。昭和の自転車は黒くてガッシリとしていて、そのまま行商にでも行けそうな丈夫な車体でした。格好は悪いし重いので、走っていても皆からは遅れがち。徒歩通学だったのでオシャレな自転車を知らなかった私は、その日から家中に「自転車を買って!」の紙を貼りまくり猛アピール。とうとう、新品のピンクの自転車を買ってもらったのでした。

 

≪昭和42年生まれのリスナーさん≫

昭和の新品ですが、私は小学1年生になる時は山口市に住んでいました。

当時、百貨店“ちまきや”には家具売り場があり、学習机もそこで買って貰いました。

学習机は親の趣味で、ダークブラウンの木の色の大人の机という感じでした。

もちろん、本棚、コンセント、ライトなどの機能も付いてなかったので、友達の普通の学習机が羨ましかったです。

兄と7才離れていたので、兄と私どちらにも新品で揃えてくれた両親に感謝しています。

 

≪昭和25年生まれのリスナーさん≫

昭和30年代、田舎暮らしの我が家には厳しい時代でした。私には姉がいましたが、おさがりは当然のことで、下の子には新品が少なかったの自然なことです。

とはいえ真新しい教科書や学用品をもらったりしたときにはそれはそれなりにうれしかったものですが、そんな中で特に心に残っているのは画用紙です。

当時は紙はそれなりに貴重品で、真っ白でまっさらの大きな画用紙は私にはとても大事なものに見えました。「こんなきれいな紙に好きなように絵をかいていいのだろうか」というような気がしたものです。当時は画用紙は学校からもらえるものではなく、写生などの時には自分で文房具店で買っていかなければなならなかったのでなおさらです。

今でも大きなカレンダーのきれいな裏紙は切ってメモ代わりに使います。白くて大きくてまっさらの画用紙、私にはまさに新品の貴重品でした。

 

さて、次週5/10のテーマは「昭和のテープ」で行きましょう。セロハンテープ、ガムテープ、ビニールテープ、カセットテープなどなど。我が家は何か壊れればなんでもビニールテープで補修する。ボロボロになるまで使い切ってましたね~。次週も皆さんから昭和の“テープ”にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています。

 

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昭和の新品

2026年04月24日

今週は「昭和の新品」で30分。やはり、おNEWが来た時は嬉しいよね~。

 

≪昭和40生まれのリスナーさん≫

我々の時代は、高校の入学に合わせて新品の腕時計を買うのが流行っていました。

当時、デジタル表示の腕時計の人気が高かったです。

休み時間に、ストップウォッチ機能を利用して、10秒ピッタリで止める遊びをしていました。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

持ち物は何でも4歳上の兄のお下がりでした。小学校低学年の時、木琴を一人ずつ揃えることになりました。学校から注文書を持って帰ると、またまた兄のお古の青いケースに入った木琴を渡されました。この時、初めて木琴はいいけど「ケースは赤にして欲しい」と言ったら親が赤のケースを買ってくれました。とても嬉しかったです

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の新品で思い出すのは「匂い」です。何でも新品の匂いは好きでした。特に新品の本の匂いは、紙、インク、それに接着剤だろうと思いますが、その匂いが甘いバニラの匂いがして好きでした。

また、父を早く亡くした長男の私は、厳格で信心深い祖母に育てられていたため、貰いものや新品はまず仏様にお供えし、ろうそくを立て、線香を上げて合掌した後に、お供えした新品を使っていました。新品は何でもほのかに線香の匂いがついてました。

 

≪昭和28年生まれのリスナーさん≫

私が小学生の時、父は妹の結婚式の為に新品の黒の礼服を買いました。しかし、式の前に空き巣に入られて礼服を盗まれてしまい、結局式には貸し服で出席する羽目になりました。その後犯人は捕まったらしいのですが、礼服は出てこないままでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の新品」で思い出すのは『大晦日の下着』です。子供の頃、大晦日にお風呂から出ると、用意してある新品の下着を着ました。決して裕福な家では、なかったので、着古した下着が新年から新品になるのが子ども心にうれしかったと記憶しています。

 

さて、次週5/3も「昭和の新品」で行きましょう。おNEWです。新品の靴下をはくとゴムがきつくて痒くなる、新品のグローブにボールを入れて紐で縛って形を作るetc昭和の頃、新品を手に入れてワクワクした思い出、エピソードをお待ちしています。

 

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昭和の測定 PART2

2026年04月17日

今週は「昭和の測定 PART2」で30分。“はかるもの”っていろいろあるんですね~。

 

≪昭和43生まれのリスナーさん≫

小学生時代に「クラス対抗体力測定大会」がありました。いろいろな競技があり、100m走や、1000m走にリレー、走り幅跳びに走り高跳び等、順位で点数をつけ、クラス順位を争うものでした。

自分はソフトボール投げにエントリー。出る人は、当然、少年野球をやってる人間ばかり。自分なんかは、野球は遊び程度しかしてませんでした。でも、結果は野球経験者相手に2位になりました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

「牛が居なくなった牛舎兼倉庫を建て替える」と親父が言い出したのが中学1年の時でした。

二階には勉強部屋ができる計画。どこかの建築会社に頼んだのかと思ったら、休日や仕事から帰宅後に、親父が1人で作業を始めました。家の土台を作る時、手伝わされたのが「水盛り」と言う作業。水を充填した細い透明のビニールホースで水平な位置に鉛筆で印をつけていきました。

「基礎が一番大事」と言ってました。

完成した勉強部屋で中高生時代を過ごし、熊本県の測量の専門学校に進学しました。

レベルと呼ばれる望遠鏡のような器械で測ると水平が解ると言う事を学びました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

昭和の測定と言えば水泳部での「100M平泳ぎ」。

自分が中学生の時は、1分30秒を切るとインターハイに出場が出来たんですが、自分のタイムは、1分30秒から1分31秒の間でした。先生から「0.5秒くらいだしどうにかしてやろうか?」と、温かい申し出が有りました。しかし、当時の私は、「大きな大会で、ビリを泳ぐのはイヤ」と断った記憶が有ります。今、思えば出ておけば、良かったかな?と、思っています。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の測定」で思い出すのは「スピードガン」です。中日スタジアムで球速表示が始まった昭和55年、中日ドラゴンズの小松辰雄投手が150km/hを連発し「スピードガンの申し子」と呼ばれていました。

その年の夏休みに、近くのショッピングセンターで

「スピードガン球速測定イベント」が行われ友達と参加しました。帰宅部の高校一年生の全力投球は90km/hが精一杯だったと記憶しています。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

私の中学時代は、学校の規則で男子はみんな、丸刈りでした。月に一回、頭髪の検査があり、先生が手のひらを頭に乗せ、指の間から髪の毛が伸びていたらアウト!すぐさま先生がバリカンで10センチぐらい5厘カットに。一部分だけで恥ずかしいので散髪して登校しました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

小学校では体力測定とスポーツテストがありました。握力測定で思い出すのが測る時に測る手を脚とか身体に押し付けると力以上の数値が出るので、いかさまをするやつが中にいましたよ。

 

≪昭和55年生まれのリスナーさん≫

ファミコン世代ど真ん中の私にとって、かつて絶対に負けられない「測定」がありました。

それは「連射」です!ただひたすらに10秒間、誰よりも多くボタンを叩いた者が一番偉い。そんな単純明快な遊びに、私たちはあの手この手で興じたものでした。

我が家には、“シュウォッチ”という連射測定のためだけに生まれたおもちゃが今も残っています。

ある日、8歳の息子が押し入れからそれを見つけ出し、無心にボタンを叩いている姿を目撃しました。かつての自分を見るようなその光景に、私は思わず目を細め、微笑ましい気持ちになりました。

しかし、ふと画面に表示された彼の記録を見ると、かつての「猛者」としてのプライドが騒ぎます。おぼつかない手つきで必死に挑む息子を横目に、私は心の中で静かに呟きました。

「悪いな。その程度なら、まだ父さんの勝ちだ」

いつか追い越されるその日まで、この小さなボタンの上の記録だけは、全力で守り抜こうと思っています。

さて、次週4/26は新テーマ、「昭和の新品」で行きましょう。おNEWです。お下がりでなく新品。新品の靴のマジックテープはよくくっつく。山根さんは“新車の匂い”がお好み。昭和の頃、新品を手に入れてワクワクした思い出、エピソードをお待ちしています。

 

 

そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。


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