
ご昭和ください ブログ
昭和のウルトラマンPART3
2026年08月23日
今週は久々の3週連続同テーマ「昭和のウルトラマン」。PART3も時間が足りない!
≪昭和36年生まれのリスナーさん≫
昭和50年代だかフェルナンデスがウルトラ怪獣をデザインしたギターピックを販売してた。デザインされた怪獣はキングジョー、エレキング、ブースカなど。徳山のポップス川上で何枚か購入したが現存するのはブースカのみで車のダッシュボードに両面テープで貼り付けてます。
≪昭和52年生まれのリスナーさん≫
昭和のウルトラ怪獣のソフビ人形が家にあります。叔母が亡くなり、部屋の片付けをして見つけたのですが、何十年もの間、いとこが持っていたおもちゃを捨てずにいた事に驚きました。我が家の子どもたちはウルトラヒーローが大好きなので、形見として頂きました。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
2週に渡ってデザインの成田亨さんの話題が出てきてうれしいです。
昨年の夏、広島の美術館で「青森県立美術館 所蔵品展」があり、ウルトラマンや怪獣の図案が出展していました。細い線で描かれたそれは、日本画的な美しさがありました。
ここから本題です、自分のウルトラマンと言うと、「ある特定のモノを食べる怪獣」です。
石油を食べる「ペスター」、金を食べる「ゴルドン」。
ペスターは、明らかに中に横にならんで入っているだろう、唯一無二の造形。
ゴルドンは、この回限定で登場の、ドリルメカ。
それぞれ印象に残っています。
≪65才のリスナーさん≫
ウルトラマンとは直接、関係無いかもしれませんが、特捜隊のハヤタ隊員役の黒部進さんがウルトラマン終了後からしばらくして、水戸黄門の悪代官役で出演されたのを見た時は、たいそう驚いた事を思い出しました。現在は、フルハシ隊員役の毒蝮さんが元気に、ラジオやテレビで活躍されている姿を拝見し、感心しています。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
私がウルトラマンで印象に残っている怪獣は
"ダダ"です。
何と、私のおばあさんにそっくりだったんです。なので、あっけに取られ、その回のストーリーが全く頭に入って来ませんでした。今でも、"ダダ"がどこから来たのか、どんな悪い事をしたのか、どう倒されたのか全く記憶にありません。
さぁ、次回はテーマチェンジです!次回のテーマは「昭和の あ~ぁ、損した」です。若い頃、子供の頃、ありませんでしたかぁ。高橋少年は小1の頃がインベーダーブーム。当時の100円はそりゃ高い。思い切って100円玉入れてインベーダーを始めても一列も倒せずゲームオーバー。あ~ぁ、損した。
皆さんからも昭和の“あ~ぁ、損した”話、お待ちしています!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和のウルトラマンPART2
2026年08月16日
今週は♪特捜隊の歌からスタート。昭和のウルトラマンPART2で30分。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
ウルトラマンの本放送は日曜の朝KRYだったので良く観ていました。しかし、ある週の日曜、私は学校に行かなければならなくなったのです。ポリオのワクチンを受けるためでした。ワクチン自体はスプーン一杯のゼリー状の物を飲むだけで嫌では無かったのですが、ウルトラマンを観られないのは一大事!私は帰ってきてから8歳年上の兄に、「今日のウルトラマンに出た怪獣の絵を描いてくれ」と頼みました。兄はそうとう絵が上手かったのです。兄が描いてくれた怪獣は、フジツボとサッカーボールを足して2で割ったような「4次元怪獣ブルトン」でした。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
先週の放送を運転中に聞いて、確か実家にウルトラマンショーの写真があったと思い、探しました。徳山の近鉄松下百貨店の屋上に来たショーの写真だと思います。多分3歳くらいと思います。当時の記憶はほとんどありませんが、子供ながらに「なぜウルトラマンは大きくないのか?」と母に聞いたような気がします。
≪昭和54年生まれのリスナーさん≫
私は世代的に、初代ウルトラマンは幼少期に再放送で見たのですが、今回は「中学の修学旅行」での話をいたします。
私の班は職場見学の抽選で、見事TBSを引き当てたのですが、見学地は、当時落成したばかりのビッグハットではなく旧社屋の方で、班のメンバーたちはガッカリ。
見学当日、当然TBS社屋には初めて足を踏み入れたはずなのですが、なぜかどこを見渡しても、どこかデジャヴ感が。
その時は理由が分からず、後にDVDでウルトラマンを見返した時にようやく判明しました。
あのTBS旧社屋は、ウルトラマンのロケ地に使われていた場所らしく、バルタン星人が分身した廊下や、科特隊と銃撃戦を繰り広げた階段を、気付かないままに聖地巡礼していたのでした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
超重たい怪獣スカイドンの登場のときに、ベータカプセルと間違えて直前まで食べていたカレーライスのスプーンをかざす…なんて大ボケをかますシーンがあったのを覚えています。スプーンを投げ捨てていた気がします。緊急時だから仕方ないですね。
超有名な怪獣ではないけれど、怪獣らしいフォルムのゴモラ 昔からあるビールのラベルの生き物に似たドドンゴ なんか印象に残っています。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
日曜日の夜7時からの放送で、毎週ホントに楽しみでした。反面、次の日が月曜日という、なんとも切ない思いもあったように思います。あの頃は、テレビ番組の放送日と時間をちゃんと記憶していて、 それを基準に宿題とかをやっていたんじゃないかなぁ。
さぁ、次回もウルトラマンでやりますよ~。「昭和のウルトラマンPART3」で行きましょう。久々に3週に渡ってお送りするロングテーマ。ウルトラマンなら当然でしょう。今週も送っていただきましたが、ウルトラマンショーの写真もお待ちしています。
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和のウルトラマン
2026年08月09日
今週は♪スピニング・トーホールドから♪ウルトラマンの歌でスタート。
ドリー・ファンク・ジュニアの魅力を改めて語った後に、「昭和のウルトラマン」。7月で放送開始60年ということで、14年の歴史のご昭和くださいで初めてのテーマです。山根さんは何でも知っている!
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
番組が始まった昭和41年当時は島根県に住んでまして、島根の民放局と山口の民放局KRYを観ていました、ウルトラマンの放送は、島根の民放局はTBS系列だったので、毎週日曜日の夜7時から。山口の民放局KRYは、毎週日曜日の朝10時30分から、一週遅れで放送されていました、当時ウルトラマンが好きだったので、毎週日曜日は朝と夜の2回見ていました。
科特隊のハヤタ隊員は、放送第一回で、ベムラーを追って地球にやって来たウルトラマンと、ビートル操縦していたハヤタ隊員と衝突し亡くなってたんですよね~。最近、やっと分かりました。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
記憶は定かではないですが放送当時はもちろん、再放送でも見ていました。科学特捜隊のオレンジ色のユニフォームは、まだ白黒テレビだったので、派手さは感じなかった気がします。
子供を相手の特撮番組だったので、ウルトラセブンと違い、所々に笑える要素が盛り込まれていて、スカイドンの回だったか、スカイドンを風船作戦で宇宙送ったけど、また地球に落ちてきて、カレーを食べていた隊員たちが慌てるシーンで、屋上に向かったハヤタ隊員がベータカプセルと間違えてカレースプーンを掲げるシーンは笑えました。
そんな中でも、結局最後はウルトラマンが怪獣を倒すことにイデ隊員が苦悩する回や、宇宙に取り残されたジャミラが怪獣となって地球に戻ってくる回など、当時は分からなかったけど、再放送で見返すと色々と考えさせられる回もありましたね。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和のウルトラマンといえば、ウルトラQが終わって次に何が始まるのか楽しみにしていたらウルトラマンが始まりました。
宇宙人が人間の体を借りて普段は生活しているが、怪獣や異星人と正義のために戦う時は元の姿に戻る変身もののヒーローに釘付けになりました。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
ウルトラマンが始まる前のウルトラQはオープニングのドアが閉まるようなギュウッとした不気味さがあり、怪獣や珍獣が出現する内容もなんだか深く思えたものでした。そのウルトラQが終わり、ウルトラマンが始まったのですが、ウルトラQに比べただただ怪獣をやっつけるストーリーに単純にワクワク感を覚えたものでした。
当時の我が家はまだ白黒テレビだったのですが、数年後にカラーテレビがやってきた時ウルトラマンの体の赤いラインはとても斬新に思えたものでした。
さて、次回のテーマも当然「昭和のウルトラマン」で行きましょう。初代マン限定の思い出話、エピソードをお待ちしています。ウルトラマンショーの写真も送ってください!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の食パン PART②
2026年08月02日
今週は「昭和の食パン PART②」で30分。
まだまだ、昭和ならではの食パン話がいっぱい来ました。
≪山口県に来たばかりのリスナーさん≫
子供の頃、おじいちゃんが食パンにバターを塗ってトースターで焼いて、その後。焼けた食パンに
砂糖をたっぷり掛けて食べてました。
マネして食べたら、母親にメタクソ叱られました。
なので、土曜の昼とかおじいちゃんと2人の時に
食パン食べたいとお願いして砂糖たっぷりの食パンを食べさせてもらってました。今でも、禁断のメニューです。
≪現在、52才のリスナーさん≫
下松の切戸川の河口沿いに当時住んでた私は橋を隔てた食料品店によく食パンを買いに行かされました。そこの店のおばさんに「食パン5枚切り一斤ください」。と言ったらおばさんは「はい」と言って、食パンの塊を棚から出してスライサーで一斤分スライスして一斤袋に入れていたのを覚えております。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
子供の頃にあったトースターは、パンがポンと飛び出すポップアップトースターばかりで、そのトースターに必要なパンを焼く部分を母が内職で作っていました。2cm×10cmくらいの通電しない雲母のような薄~い板にニクロム線を巻いていくものでした。
当時はそれ以外にも色んな内職をしていて、簡単なものばかりで、僕も時々手伝っていました。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
子どもの頃の食パンを焼いて食べるのは網を使っていました。火の上に金網を置いて焼きます。上手く行くと四角い網の模様が付くのですが、下手をすると表面が真っ黒の炭のようになります。そうなっても、その部分を削り落として食べたものです。
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
幼かった頃、日曜日の朝は家族で食パンを食べていた記憶があります。飲み物はインスタントコーヒーでした。焼いた食パンにバターを塗って、その上に砂糖をまぶした薄切りのキュウリを載せて食べていました。大人になってこの食べ方を友達に話すと「やったことがない」という回答ばかりでした。
このお題で思い出したので、久しぶりにきゅうりを載せて食べてみました。懐かしい味でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の食パン」で思い出すのはイチゴを食べた後に残った練乳です。昭和の練乳は缶に入っていました。缶切りで穴を開け、もう一つ反対側に穴を開けて粘り気の強い練乳をタラーっと出していましたね。その練乳がイチゴを食べた後に残った時
トーストした食パンに垂らして食べます。滅多に食べれませんでしたが、当時の最高なオヤツでした。
さて、次回のテーマは…「昭和のウルトラマン」で行きましょう。ウルトラマンの初回放送が昭和41年7月17日、まさに放送開始60周年の節目。山根さん「調べないで良いですよ、みんなの記憶にあるウルトラマンの思い出を是非!」
昭和のウルトラマン話、お待ちしております!
なお、高校野球期間中はご昭和時間の放送時間に中継があった場合は、番組はお休みとなります。雨などで試合が順延になった場合は通常通り放送いたします!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の食パン
2026年07月05日
今週は「昭和の食パン」で30分。
昭和の頃の食文化は懐かしい話が満載です。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
小学生の時に、風邪で休んだ人には、給食で出た食パンを、家まで持って行ってあげていました。
また、食パンを食べずに、机の中に入れたままにして、カビてた友達もいました。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
小学高学年になった頃毎日コッペパンだけだったのが、週イチぐらいで食パンの日がありました。四角いパンにキャラメルぐらいのおおきさのマーガリンを塗ってパタンと半分に折って食べていました。食パンが珍しくて食パンの日が楽しみだったのを覚えています。我が家にトースターが登場したのは5才上の姉が松下電器に務め始めた昭和45年頃です。ポップアップトースターで赤いボディーだったような気がします。勢いよく飛び出すので手をトースターの上で待ち構えていたあの頃を懐かしい事を思いだしだしました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
子供の頃、お店で売っている食パンと云えば、6枚切か8枚切。6枚切は、たま~に家の朝ご飯に登場すると、ちょっと嬉しかったです。8枚切は、もっとたま~に、サンドイッチで登場することも、ありました。小学校の給食で、時々食パンが登場して、ジャムやマーガリンを塗って食べてましたが、チョコのスプレッドが一番美味しかったです。現在のように、4枚切や5枚切をトーストして、バターを塗って食べるのは、贅沢なんでしょうね!
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
食パンと言えば、八枚切りか六枚切りでした。うちは八枚切りを毎朝食べてました。それが気がついてみると八枚切りがスーパーから消えてました
六枚切りは私には多すぎます。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
昭和40年代の小学生の頃、給食のパンはほとんどコッペパンでした。何年生の頃かは忘れましたが、食パンが時たま出され、それが美味しかった記憶があります。あの時代に比べ、今の食パンは色々な種類があり、とても美味しいです
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
昭和53年、小学校5年の時、学校全体の子供会でオリエンテーリングが開催され、各自お弁当を持って行く事になりました。母の作るお弁当は、むすびと玉子焼きとウインナーが定番だったのですが、 その時、私はキナってみたくて(?)、「サンドイッチにして!」と注文。当日、楽しみにお弁当箱を開けると「食パンを切ってイチゴジャムを挟んだもの」が入っていました。でも 昼ごはんなんだから、玉子サンドとかハムサンドでないと食べた気がしません。母の料理は、砂糖醤油で煮たものやナマズなど 田舎料料だったので、洋食の概念が無かったのだと思います。私は、おやつのようなジャムパンを食べながら、「 これからの弁当はやっぱりおむすびにしよう」と思ったのでした。
≪昭和49年生まれのリスナーさん≫
昭和58年のある日、当時、家の近くに和洋菓子屋と駄菓子屋を兼ねたパン屋さんがあり、その店から母親が“焼き立て、出来立てホヤホヤ”の食パンを買ってきてくれました。おふくろが包丁で切ると湯気が湧き出て、食パンの断面にバターを塗ったらその湯気でバターが溶けて染み込み、食べてみるとぶち旨かったのを今でも覚えています。
さて、次週7/12も「昭和の食パン」で行きましょう。パンの耳を揚げる、ばあちゃんは甘いインスタンドコーヒーに浸けて食べていたetc次週も昭和時代の食パンにまつわるお話をお待ちしております。
なお、次週以降、高校野球中継があった場合は、昭和くださいはお休みです。雨などで試合が順延になった場合は通常通り放送いたします!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の慰安旅行、社員旅行 PART2
2026年06月28日
今週は「昭和の慰安旅行、社員旅行 PART2」で30分。
今週もかなり濃い旅行話が寄せられました。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
私が20歳から5年間勤めていたスーパーのチェーンストアは週一回定休日がありました。ちょうど開店10周年の年に店休を二日間にして、50人余りが観光バスに乗って社内旅行で一泊二日の大分観光に行くことになりました。夜の宴会の出し物は各階のフロアー対決で、当時子供服売り場で働いていた私は同僚たちとパロディーの寸劇をしました。当時はスチュワーデス物語が流行っていて、会社の制服を着てスチュワーデス訓練生になりきりました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
昭和48年、小学校1年の時、母の社員旅行について、別府の〇〇パレスに行きました。土曜日の半ドンの学校を休ませて連れてってくれました。母の同僚女性も孫のマナミちゃんを連れて来ていたので、連れがあって嬉しい。当時のパレス名物と言えば“ジャングル風呂”で、熱帯植物館のような沢山の樹木に大浴場に滑り落ちるすべり台や大浴場の中ノ島には赤い大鳥居とシュールな世界が広がっていて、私とマナミちゃんは大はしゃぎ。大浴場の湯舟の縁は浅いけど2m程行くとタイルの色が変わって一段深くなっていて、それに気付かなかったマナミちゃんが湯舟に入るなり走ってドボーンと深みにはまってました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の慰安旅行・社内旅行」で思い出すのは
幹事席の悲劇です。社員旅行の幹事になり、
バスツアーでは運転席のすぐ後ろの席に座ります。そして、幹事のすぐ後ろは、支店長の席です。
支店長はヘビースモーカーでしたので、バス乗車中、幹事席はモクモク旅行に着ていったお気に入りのセーターはタバコの臭いが取れず旅行の後、泣く泣く捨てました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
昔、工務店仲間5人と、大分県別府温泉、あの超有名なマンモスホテルに1泊2日で旅行に行きました。自分たちの宴会が終わり仲間二人と、宴会場のフロアを歩いていたら、老人会のおばあちゃんから逆ナンパされ“ただ酒”を沢山いただきました。
さて、次週7/4は「昭和の食パン」で行きましょう。山根さん「他のパンも食べるのに何で“食パン”と言うのかのう!?」、高橋家はいつも6枚切りで時には8枚切りの時もあって腹が減ってたなぁ~、あの分厚い4枚切りは高橋少年の憧れ。次週は昭和時代の食パンにまつわるお話をお待ちしております!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の慰安旅行、社員旅行
2026年06月21日
今週は「昭和の慰安旅行、社員旅行」で30分。
バスに乗った時点から飲んで目的地についても宴会で飲んで…昭和ならではの空気感たっぷりの話が寄せられました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の慰安旅行・社内旅行」で思い出すのは
映画「男はつらいよ」です。
貸し切りバスの中で流される映画は、なぜか、「男はつらいよ」が多かったように思います。
涙あり笑いありで、また不適切な(エッチな)描写が少なかったからかもしれません。
知り合いの中にも、バスの中で見てから「男はつらいよ」にハマってしまった人もたくさんいました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和63年9月に“瀬戸大橋”を渡りに社員等8名で社員の車3台で『四国旅行☆珍道中』となりました。「こんぴらさん」では借りた杖が折れたり、「かずら橋」では落ちた靴を拾いに渓流まで行ったり、「桂浜」では土砂降りに。さらには「四万十川」では社長の車が行方不明になりかけたりで珍道中でした。時代が良かったのでしょう。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
二十歳の春、専門学校を卒業し就職した建設会社の慰安旅行は2年に1回。旅行代は全部会社持ちです。初めての旅行は四国香川県、金毘羅宮参拝。ベテランの男性添乗員小林さんの引率で、新幹線ひかり号とバスの旅行です。
移動中、夜の宴会、とにかく呑み続ける御一行。到着した観光地もバスで寝たままの者も数知れず。でも、社長は満足気でした。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
私が公務員だった頃、組合でシンガポール旅行に4泊5日で行きました。その頃は円高で「お金持ち」になった気分でした。唯一の心残りが「ドリアン」のニオイがキツくて食べれなかった事です。
≪昭和33年生まれのリスナーさん≫
昭和の職場旅行は、全員参加のバス旅行でした。今の貸し切りバスは、後ろが広くなっているサロンカーがあるようですが、昭和50年代は全て前を向いた2人がけの座席で、若者は補助席に座ることもありました。バスが出発するとすぐにビールとツマミが配られ、宴会が始まります。ガイドさんの説明なんて聞いてません。さらに、少し酔ってくると、若いガイドさんに駄洒落や下ネタを連発するおじさんがいたものです。中には、一升瓶を抱えて席を移動し、仕事の説教をする上司もいて、閉口することもありました
さて、次週6/28も「昭和の慰安旅行、社内旅行」で行きましょう。若手社員の幹事は大変、先輩のわがまま、飲み過ぎた上司が体調崩すetc楽しい旅につきもののハプニング、昭和ならではのお話をお待ちしております!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の真似 PART2
2026年06月14日
今週は「昭和の真似 PART2」で30分。
今週もヒーローや野球選手など、たくさんの真似話が寄せられました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昔のヒーローはマントを着けているのが多かったですよね。黄金バットも、月光仮面も、ゴレンジャーも、ガッチャマンも、ゲッターロボ(ゲッター・ワン)もそうでした。
元気な僕らも風呂敷をマントにして遊んでました。
当時の僕らには、「マント イコール 空を飛ぶための装置」 といった認識があって・・。よく、風呂敷マントをつけて高いところから飛び降りたりしてました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
トラック野郎と云う映画が流行りまして、これに魅せられた我々の世代は、自転車を飾り付けて、トラック野郎もどきを競ってました。
自分の自転車はウインカーフラッシャーでもなく、到底及ばないものの、ステッカーを貼ったり反射鏡を付けたりして、トラック野郎気分に浸ってました。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
昭和の真似ですが、小学生時代によく真似たものがありました。野球選手の物真似なんですが、実はプロ野球選手の物真似ではありません。それは、ドカベンの里中智選手です。
当時、アニメ、ドカベンが放送されており、あのアンダースローに憧れて、よく練習しましたが、なかなか上達しなかったので、上級生の方に教わり、出来る様になりました。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
今もしている半袖カッターシャツの縫い代を折り返し着る事。若大将の田沼雄一がしとったのを真似た。中学生の頃から自分でアイロンをあてて折り目もバッチシ。
≪昭和37年生まれのリスナーさん≫
昭和40年代の頃は西部劇、マカロニウエスタンが流行っていたこともあって子供用の玩具も安いピストルもたくさん売られていました。
当時はクリント・イーストウッド
リー・ヴァン・クリーフ
ロバート・レッドフォード
何かが好きで早撃ちガンマンの真似をしてました。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
日曜日の晩、毎週観ていた番組「びっくり日本新記録」。
ハンググライダーで飛行距離を競う「鳥人間コンテスト」を見たのが中学生の時で、なんか出来そうな気がしました。
小学校の図工で凧を作った事が自信になったと思います。骨組みは竹で、クリスマスケーキを包んでいたビニール風呂敷を羽根に張りました。自作した横幅2m位のハングライダーを、2m位の田んぼの段差を走って飛んでみました。
普通に落下して終わりました。足が痛かったです。
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
昭和のマネといえば、短大を出て働いていた銀行の社内旅行の宴会で「課長さんのモノマネ」をしたのを思い出しました。
他の宴会では、島倉千代子さんの「人生いろいろ」をマネて歌った事もあります。昭和の終わりくらいの事ですが、盛大に宴会をやっていました。
令和の昨今、社内旅行とかするのでしょうか?
さて、次週6/21のテーマは「昭和の慰安旅行、社内旅行」で行きましょう。仕事先での団体旅行、観光バス、新幹線、行きからビール、宴会芸、観光地でのハプニングetc昭和ならではのお話をお待ちしております!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の真似
2026年06月07日
今週は「昭和の真似」で30分。
漫画のキャラクターの真似、映画スターの真似、先生の真似など、たくさんの真似話が寄せられました。
≪昭和27生まれのリスナーさん≫
赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に出てくる、イヤミのギャグ「シーェ」片腕を上に上げ、もう片方の腕は横に、足は絡ませ「シェー」。何かあるたびに「シーェ」みんなよく真似していました。
≪昭和49年生まれのリスナーさん≫
幼い頃、「ウルトラマン」の大ファンだったので、写真に写るときはいつも初代ウルトラマンの必殺技であるスペシウム光線のポーズを取っていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
小5のとき、当時"少年チャンピオン"のマンガ雑誌では、『がきデカ』がヒットしていて、
「死刑!!」と言っては、写真のようなポーズをとっていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の真似」で思い出すのは、小学校の校長先生の真似です。
校長先生は、体育館で行う集会のときに必ず
「はい、先頭の人、黄色い白線まで下がって」と言うのです。
その場では誰もつっこめないので、後から友達と
「はい、先頭の人、黄色い白線まで下がって」と真似っこしていました。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の真似というと、私が高校に入学した昭和49年、ブルース・リーの訃報と共に、一気にカンフーブームが巻き起こりました。
クラスのガリ勉野郎以外の殆どが「アチャ〜!アチャ!」とふざけて真似をしていましたが、更にモノマネだけでなく、決闘するわけでもないのにヌンチャクを自作していた奴がクラスで推定10人位はいました。私も自宅の農機具小屋の鍬の柄を切って作りましたが、硬くて頭に当るとたんこぶが出来ました。
さて、次週6/14も「昭和の真似」で行きましょう。西部劇ガンマンを真似した、アイドルの真似を、物真似が絶品の部活の先輩がいたetc昭和の頃に色々真似をした思い出・エピソードをお待ちしております。
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の続・失敗した買い物PART2
2026年05月31日
今週は「昭和の続・失敗した買い物PART2」で30分。
今週も皆さんの“後悔先に立たず話”がたくさん寄せられました。
≪昭和35生まれのリスナーさん≫
ジャンプとかの裏表紙の通販に出ていた「マッチ半田」と言うのを買いました。電子回路とかは分からないんですが、半田付けとか興味ある中学生だったんで、注文しました。当時って、お金じゃなくて代金分の切手を送ったりしてましたよね。
電子回路のキットを買ってきて、マッチの火でその半田を溶かしてみてたりしたんですが、基盤側に熱が伝わらないんできちんと付く訳もなく、マッチ半田もちゃんと溶けないんで、全く役に立ちませんでした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の失敗した買い物で思い出したのは、押し売りです。ウチの親父は押し売りによく押し切られる人でした。大抵は父が買いそうになるのを母が止めて事なきを得るというパターンでしたが、父が一人の時は大抵アウトでした。
寿司おけ、おひつ、地球儀、等々、
今、思えば「誰がいつ使うんだ?」的なモノをよく買ってました。そんな押し売りも、いつの間にか来なくなってしまいましたが。。。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
昔ある雑誌に、育毛剤の使用後の頭髪の写真がふさふさになっているのを見て、ちょっとお高めでしたけど購入を決めました。2ヶ月ぐらい使用しましたが1ミリも変わりませんでした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の続・失敗した買い物」で思い出すのは
『ベルボトムパンツ』です。
昭和55年、高校一年生のとき、
中学時代の丸刈り頭から解放されて、色気づき
初めて一人で個人の洋品店に行きました。
店の人に勧められるまま購入したのは、「黄色のベルボトムパンツ」1本。到底、家には合わせる服など無く、タンスに眠ることになりました。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
20歳過ぎた頃の話。妹と大阪に旅行して、アメリカ村を歩いていると、若い女性が皆、超短い革のホットパンツをはいて闊歩していました。思わず自分も欲しくなり、目についたショップに入って試着しました。店員さんも妹もこぞって「似合う、似合う」と褒めるので、気分が上がり、すぐに購入しました。
ところが、地元、山口県に帰宅すると、いないのです。革のホットパンツを穿いた人が全くいないのです。家の中では穿けても、外に穿いて出る勇気がなく、タンスの肥やしとなったのでした。失敗でした。確か9800円位だった気がします。
≪昭和53年生まれのリスナーさん≫
昭和の失敗した買い物はカラオケ大好きの父が,
突然、買ってきたカラオケ機です。家でよく歌ってましたが、とてもうるさくて、外にもダダ漏れ。
ご近所さんに迷惑かけているのではと気が気ではなかったです。現在、全く使っておらず邪魔なので早く処分したいです。
さて、次週6/7のテーマは「昭和の真似」で行きましょう。近所の憧れのお兄さんをマネして帽子を買った、優等生のマネして鉛筆を高いヤツに変えた、巨人の原さんのマネをしてバッターボックスに立った、母が「まちこ巻き」をマネしてスカーフを買ってきたetc昭和の頃に色々真似をした思い出・エピソードをお待ちしております。
また、山根さんご希望の「先祖代々伝わっている物の写真」も待ってま~す。
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和のウルトラマンPART3
2026年08月23日
昭和のウルトラマンPART2
2026年08月16日
昭和のウルトラマン
2026年08月09日
昭和の食パン PART②
2026年08月02日
昭和の食パン
2026年07月05日