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昭和の 大きすぎるPART2

2024年03月10日

昭和46年生まれ52歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の 大きすぎるPART2」で30分。
 
 
昭和56年専門学校に通っていた頃のこと。夕方の広島・繁華街を友人3人とブラブラしていたら大きな外国人5人がいて、通訳の日本人が「彼らがディスコに行きたい!って言うから連れて行ってくれ」と頼まれ、外国人5人のなかで1番小柄な人がリーダーみたいで、すぐタクシーを捕まえようとするから僕が「near!walk!」で英語が通じて歩いて、やっとディスコがあるビルのエレベーターに皆で乗ることができました。あまりのデカさに驚きました。実は翌日わかったのが、その外国人5人はエキシビションで広島に来ていたカンザスシティ・ロイヤルズの選手で、1番小柄なリーダー格の人は数年後ロイヤルズの永久欠番5のジョージ・ブレットでした!あの時写真を撮ったりサインをいただいていれば……。懐かしい思い出です。
 
昭和47年、女子短大1年生でした。西宮市で2人部屋の女子寮に入っていました。相手の彼女は大柄で教育科。私は小柄で被服科。
授業時間が違っていて、その日、私が先に登校。学校は制服があり、黒のテーラーの上着とタイトスカート。「今日は椅子の立ち座りが楽だったなぁ」と寮に帰ると、彼女から「今日学校に行こうとしたら、あなたの小さい制服しかなくて着られないから学校に行けなかった」と言われてしまいました。クローゼットは1つを2人で使ってて、そんなことになってしまいました。
 
ご近所さんに、夏になるとふんどし姿で夕涼みするオジさんがいて、「お前ら服でも靴でも買うんなら大きなのを買わにゃあ損で」と、からかわれてました。そのオジさんは、私達が遊んでたら、よく粉末のオレンジジュース(渡辺だったかな?)を作ってくれてました。懐かしいなぁ…。あの頃の人達に会いたいものです。
 
小学校の卒業式に、記念品として卒業生に紅白饅頭が配られました。今、思い返せば、直径10センチ位でつやつやして美味しそうでした。その時は「何てでかくて美味しそうんな饅頭なんじゃろう」とえらく感動しましたが、食べたらぱさぱさで、おせじにも美味しいというものではありませんでした。
 
大昔のコンピューターのその前身の電子計算機。昭和50年頃に広島市で見学した事があります。広さは学校の教室4部屋分位が電算機室でした。防塵服を着て室内に入ると、二重床からの空調やラインプリンターが印刷する凄まじい音がしており、カードリーダーも時折かなりのスピードで動いていました。オープンリールテープレコーダーの親玉のような装置もあったと記憶しています。
その時の説明では、中央演算装置(CPU)のメインメモリは、ワンボックスの軽自動車位の大きさのケースの中にあり、容量が512KB(キロバイト)との事でした。
今のメモリは指先に乗るICチップですが、当時は穴の空いた円形の磁石に電線を通し、磁化されている方向が右回りか左回りかで1か0を記憶する方法でした。
 
「昭和の大きすぎる」で思い出すのが、プロレスラー「マクガイヤー・ブラザース」のおしりです。確か昭和49年ごろ徳山体育館からの中継をテレビで見た記憶があります。体育館の中をミニバイクに乗って登場し、バイクが潰れそうでかわいそうに見えました。マグガイヤー・ブラザーズ2人に対して日本人4人の2対4のタッグマッチだったと思います。インパクトありすぎでした。
 
 
さて、次回3/18は、「昭和の 我が家の常識」で行きましょう。
風呂は親父が一番に入る、ブラウン管テレビを叩くと映りがよくなる、イチゴを食べる時は牛乳をかけて潰してイチゴミルクにするetc.あなたの家ならではの常識をお待ちしています!
 
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=e2ol56otykM
「昭和の掃除①」
寝る前に1話ずつ見てますが、楽しい気分になっていい夢見られますよ。


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