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昭和の 親切2

2024年05月26日

昭和46年生まれ52才、高橋裕です。
 
今日は「昭和の親切 PART2」で30分。
 
自転車を乗り始めた頃、近所に自転車のパンクを直してくれるおじさんがいました。おじさんのところに自転車を持っていくと「またパンクしたんか」チューブを水につけ空気が漏れている所でぶくぶく泡が出ます、そこを軽石でこすり、ゴムのりを塗り、丸く切ったチューブを貼り、木槌で叩きなおしくれました。何回も持っていくので、いろんな形のチューブの切れ端が貼ってありました。
 
昭和52年までは「学校の1クラス分の数の同級生がいる社宅」に住んでいて、そこには共同風呂がありました。
当時としては珍しかった双子の赤ちゃんがいるお母さんがゆっくりお風呂に入れるようにと、赤ちゃんたちを、次々にお母さんが洗うと、その赤ちゃんたちを湯船に入れて上げる親切なおばさん達が必ずいました。そして脱衣所で赤ちゃんを受け取り、タオルで拭いて服を着せて上げるおばさん達がいて、何人かのおばさんたちの親切が当たり前のようになっていました。私も母と一緒に服を着せて上げたり哺乳瓶の湯冷ましを飲ませたりしていました。
 
台風で3日くらい停電したことがあって、電気炊飯器の我が家はご飯が炊けませんでした。
それを見ていた隣のおばあちゃん、
「これを食べなさい」と、ガス炊飯器で炊いたご飯を釜ごと持ってきてくれました。
炊きたてのご飯は美味しかったです。
 
昭和37年生まれの夫が大学生の時、後楽園球場でチケットのもぎりのアルバイトをしていました。
試合前には打撃練習があり、ファウルボールが観客席に飛ぶと注意喚起するのも仕事の1つでした。その日の夫の担当は1塁内野席で、観客もまばらだったのですが、たまたまファウルボールが飛んで来て、落下地点付近に女の子がいるのに気付き、夫は一目散に走って右手で捕球!座席の背もたれで右太腿を強打してしまいました。夫のとっさの親切で女の子は無事。でも、痛い!
その時、グランドから「ナイス!」と声がして振り向くと、何と当時の王助監督ではありませんか。
夫は痛みを忘れて立ち上がり、バイトの帽子を脱いで、最敬礼したそうです。王助監督は笑顔で右手を上げられ、ライト方向へ歩いて行かれました。
その後、1週間は捕球した右手と強打した右太腿の腫れがひかなかったそうです。
 
小学生の時に急に「小さな親切運動」というのが始まりました。クラスで「小さな親切」をした人を発表する時間がありました。みんなの前で褒めてもらおうとして、今思えば取ってつけたような行動をしたり、人の目を気にしていた時がありました。 
 
親父は出張が多く会社のライトバンで日本各地に出向いました。
ある晩、遅めの時間、某県内をライトバンで走っていると“ネグリジェの女性”がヒッチハイクをしていたらしいのです。
親父が声をかけると「旦那と大喧嘩をして家を出てきた」との事。お願いだから自分が言う所まで乗せて行って欲しいと。
そりゃあ大変だと親父は乗せたみたいですが…その話を家の居間で得意気にしていたのを聞いた母親がムッとして「何それ!?そんな人を乗せることないわよッ!」と、しばらく抗議するようにグチグチと怒っていたのを未だに覚えています。
子供だった私も〈夜遅く〉〈ネグリジェ姿の人妻のヒッチハイク〉というワードに何かモヤモヤしたモノを感じたのですが、子供だったのでそのモヤモヤの正体はよく分からなかったんだなぁ。
ま、わざわざ家で言うぐらいだから、やましい事はない、純粋に親切だったのでしょうね。
 
さて、次回6/2は「昭和のいつの間にかできるようになっていたこと」で行きましょう。
九九、スポーツシューズの蝶々結び、水たまりを超えるジャンプetc“いつの間にか”とか“ある日突然”できるようになっていた事ってありますよね。お待ちしております!
 
ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=Zax9O08TEdI
「昭和の見た目」
エフエム秋田で我らがご昭和くださいが紹介されるなんて…という展開も!!


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