ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の 一生の思い出PART2

2025年06月22日

今週は「昭和の一生の思い出 PART2」で30分。
みんな、貴重な体験があるんですね~。
 
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の一生の思い出で、まず思い出したのは「流れるプール」です。小学6年の夏休みに、兄2人と一緒に、京都に住んでいた祖母の家に遊びに行った時に、富士急ハイランドに連れて行ってもらいました。なんといっても楽しかったのが、初めて見た「流れるプール」です。大はしゃぎしたと思います。私は泳げなかったのですが、浮き輪を使って何周も何周も流されていました。
 
≪72才のリスナーさん≫
中学3年の2学期、クラスの学級委員長の選挙があり、なぜか私が選ばれました、クラスのみんなが面白がって投票したと思います。学級委員長のバッチを胸につけ、朝礼の時は、クラスの一番前に立ち、2~3週間は真面目にやっていましたが、任期途中で交代となりました。一生に一度の学級委員長の思い出でした。
 
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
下関の短大時代、放送研究部でした。
2年の時、GWに巌流島でコンサートがありまして、なぜか、その司会をすることになりました。
まぁ、つたない司会でした。その模様がテレビ放送があるので放送日と時間を言ってくれと言われたのにあやふやで主催者の方に怒られ、繋ぎの話もめちゃくちゃで、言うことが見つからず鯉のぼりが飾ってあったのを見つけて「鯉のぼりがきれいですねー。」を連呼。散々でした。
ただ、出演者に“かまやつひろし”さんがいて、打ち上げで握手をしていただいたのは良い思い出です。でも、今考えたら、散々の司会だったのによく打ち上げに参加したものですね。若気のいたりでしょうか。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
自分の昭和の一生の思い出は「仮面ライダーカードのラッキーカード」でアルバムを手に入れたことです。
当時、あまり裕福な経済状況ではなく、ジュースやビールの瓶を拾い集めて手にしたお金で、少しずつカード付きスナックを買いました。初めてラッキーカードが入っていた時のうれしさは、今も思い出します。
 
≪女性リスナーさん≫
高校時代、野球部の女子マネージャーはおらず、“どうしても野球部のお手伝いをしたい”と友達3人で野球部長に掛け合った結果、新校舎移転1年目の秋にあった新グラウンド完成こけら落としの練習試合の“場内アナウンス”を担当することになりました。3試合あったので一人一試合担当。私は中学時代放送部で、ラジオでプロ野球中継をほとんど毎日聴きアナウンスの勉強をしていたので、まずまずの出来だったと思います。終わってから外野で観戦していた同級生に、冗談でしょうが「上手だった」と褒められた思い出があります。
こんな体験は二度と味わえないだろうなと今でも思っています。
 
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
小学4年の時、引っ越した日に2階の窓から砂利の地面に顔から落ちました。
新居の目の前は駅でSLが勢いよく走ってきたので手すりに寄りかかって見ようとした瞬間でした。
タンスを運び込むのに手すりが邪魔で片方の釘が抜いてあったのです。骨折はしませんでしたが、しばらくの間、目の周りが真っ青になっていました。
 
≪昭和20年生まれのリスナーさん≫
中1の夏休みに弟も一緒に親父が船長をしていた貨物船に乗って東京へ行きました。瀬戸内海は穏やかですが鳴門海峡を過ぎたあたりから船酔いで船上からの富士山も、竹芝桟橋に着いても、しばらくは目が回っていました。そこで見たのはまさに「ALWAYS 三丁目の夕日」で舞台になった建設中の東京タワー。そう、時は、昭和33年。はとバスに乗って東京を見て回ったのが私にとって最初の大旅行でした。ちなみに6年後に就職で再び東京の地に立った時は東京オリンピックの直後でした。
 
≪昭和48年生まれのリスナーさん≫
私が中学3年生の時、東京の親戚の家に行った時の事です。
明治神宮の近くを歩いていたら、何かのロケをしているのが遠巻きに見えました。「何のロケをしているのだろう?」と近付いて、ふと、横を見てみると、タバコをふかしているオジサンが。
よく見てみると、あの「藤田まこと」さんです!
私は小さい頃から「必殺シリーズ」が大好きで、藤田さんが演じる「中村主水」は特別な存在でした。
私は、すぐさま「藤田まことさんですよね?必殺シリーズが大好きで、ずっと憧れていました。握手してください」とお願いすると、笑みを浮かべながら「ああ、ありがとう。君みたいに若い子でも観てくれてたんだね」と、気さくに握手に応じてくださいました。
「はぐれ刑事純情派」のロケの最中だったのですが、「もう必殺シリーズはやらないんですか?」と尋ねると、「うん、もう、やらないと思う。だから今度は刑事ドラマを楽しんでね」との返答でした。
ずっと憧れを抱いていた藤田まことさんに、東京の街の中で不意に出会い、握手して頂き、会話を交わせた事が、私の中の昭和の一番の思い出かもしれません。
 
さて、次週6/29は新しいテーマ「昭和の親父の趣味」で行きましょう。親父シリーズ第2弾。高橋少年の親父の趣味はずばり“民謡”。上棟式などの後の宴でみんなに歌声を披露していたとか。
次週は、皆さんの親父の趣味にまつわるエピソードを教えてください!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=s1e1E2K_KsM
テーマは「昭和の海外テレビドラマ」
皆さんのニッチな思い出話がいっぱいです。


新着記事

昭和の 一生の思い出

2025年06月15日

昭和の 私の帽子

2025年06月01日

昭和の お見送り

2025年05月25日

月間アーカイブ