ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の 初めまして

2024年06月09日

昭和46年生まれ52才、高橋裕です。
 
今日は「昭和の 初めまして」で30分。
 
その昔、知り合いのご夫婦の奥さんの妹を新南陽から徳山駅の新幹線口まで、たまたま送ることになりました。初対面です。途中車の中で「初めまして」「お姉ちゃん夫婦をよろしくお願いします。」と言われました。その子が今の奥さんです。
 
高校に入って部活に入部する際、初めましてのあいさつと共に一発芸を披露するのが習わしでした。突然、芸をやれと言ってもなかなかいいのが思い浮かびませんが、グラウンドに行く途中でホームサイズ(500ml)のコーラを引っこ抜くタイプの自販機があったので、1本買って持っていき、先輩の前でコーラの一気飲みをしました。一気飲みをしたことがない私は、半分ぐらい飲んだところで噴き出してしまいました。そのリアクションがよかったらしく大盛り上がりだったのを覚えています。
 
「昭和の初めまして」で思い出したのは名刺です。
就職した会社で配属された後に、名刺を1箱(100枚)貰いました。営業職ではなかったので、そもそも「初めてまして」と名刺を出す機会が殆んど無い部署だったのですが、嬉しくて、同級生や同期、親兄弟に配ってしまい、あっという間に100枚が無くなりました。「名刺が無くなったので、追加作成をお願いします!」と上司へ中々言い出せず、半年以上黙っていましたが、結局バレて、「仕事以外で使うな!」とメチャメチャ怒られました。
 
私の父はガサツで大酒飲みの人でした。昭和34年、そんな父に母とのお見合い話が。父の同僚達は「ええか?喫茶店でいきなりビール頼むんじゃないぞ!最初はミルクセーキを頼め!」とアドバイス。甘いもの嫌いな父でしたが、ミルクセーキを頼んだそうです。
 
小学5年のときに転校したのですが、転校先の小学校はマンモス校で、児童の数が前の学校の何倍も多くて、似たような顔の子ばかりいたのです。
昼休みには、大勢で鬼ごっこをして遊ぶのですが、一緒に遊んでいるメンバーの顔が把握できていないので、鬼になっても誰にタッチしていいかわからず、必死で走り回っていた記憶があります。
未だに人の顔を覚えるのが苦手で、初対面の人と会うと特徴を探そうと目を凝らしています。
 
私の父は「転勤族」でして、萩で生まれ、長門、小倉、下関と転校しました。
だから、初めましては体験しましたよ。
母と一緒に、校長室で話をしたりして、教室に向かいます。そして、よくドラマとかである黒板に名前を書いて挨拶します。転校生は、好奇の目でみられ、しばらくは隣のクラスから見にこられたりもします。
そして、初めは教科書がちがったりするので、隣の子にみせてもらったり、、、
私はこの経験から初めての人、場所にもすぐ溶け込めるようになりました。
 
4才~5才の頃、東京の従姉妹の家のトイレが「洋式トイレ」に変わっていて驚きました。和式トイレの様に前向きに座った私を見て「蓋を開けて、椅子に座る様にして使うのよ」と、叔母が笑いながら教えてくれました。
宇部駅に迎えにきていた父に「東京のトイレは、座って使うんよ」と、興奮気味に言ったこと、今も鮮明に憶えています。
父は、さぞ、恥ずかしかっただろうと思います。
 
さて、次週、6/16のテーマも「昭和の初めまして」で行きましょう。新しい世界に踏み入れた、引っ越しをした、中学・高校・就職、部活、習い事、アルバイト。高橋少年は昭和も終わりのS63年、大手スーパーで初アルバイト。子供服売り場で「初めまして」を連発してました。
 
ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=dCTTFlcNBv0
今週は「昭和の隣の県」遠足、進学、デートetc話が広がってます~。


月間アーカイブ