ご昭和ください ブログ
昭和の氷
2021年01月24日
昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
今週のテーマは「昭和の氷」で30分。
昭和の氷と言えば、昭和39年生まれのだんなの話です。だんなが20歳の6月頃の時です。白夜だったそうです。
冷凍のスケトウダラの買い付けして、それを運ぶ冷凍船に乗っていた事がありました。
流氷の中、ソ連の洋上にいる母船から買い付けたスケトウダラの入った箱をクレーンで、船倉の冷凍庫に入れ、それを運び積み上げる作業が大変だったそうです。だんなの若かりし頃、ちょっと、きなって写ってますね。
ぎりぎり昭和の62年、私は大学進学の為、広島で一人暮らしを始めました。が、お金がなくて、冷蔵庫は中古の1ドアを買いました。
1ドアの冷蔵庫は中の右上に、キンキンに冷える金属板があり、それで庫内を冷やしていたのですが、直接、板の上に製氷皿を乗せれば、どうにか氷ができました。油断すると霜が付いて製氷皿が霜に埋もれちゃうことがよくありました。
大学4年間、氷は貴重でした。
旧徳山市から山あいに向かって登っていくと須々万という町があります。
その中心部から須金と中須に別れる三叉路にスーパーがあり、その敷地内にかき氷の自販機がありました。
高校生のとき何を思ったか旧徳山から黙々と自転車で登って行って、ホッとしてかき氷を食べたので妙に覚えています。
ボタンを押すと出てきたカップにかき氷がどんどん積まれていって最後にシロップがかかって先がヘラのように拡がっているストローですくう仕組みだったと記憶しています。
昭和の氷で思い出すのは冬の朝、当時、舗装されていない道路の水溜まりに張った氷を踏んづけて割りながら通学していた事。時々、厚くて子供が踏んだくらいでは割れない氷があって、滑って尻餅をつきました。
それと、近所の駄菓子屋さんで夏になると店の一角に3~4人座れるカウンターが設置され、手回しのかき氷機で、おばさんがかき氷をすってくれました。
天井から、赤、黄、緑のシロップの瓶が3本、点滴ボトルのようにぶら下がっていて、注文のシロップをかけてくれました。一杯30円位だったかなぁ?
さて、次週1/31のテーマは「昭和の肩」で行きましょう。おばあちゃんの肩もみ、肩パット入りのジャケット、ロープ降ってからのショルダースルー、ザクアタック、「君は肩がいいからキャッチャーね」と言われ高橋少年は捕手になりました。
さぁ、来週は「昭和の肩」、ご昭和リスナーの引き出しの多さを見せてください!!
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