ご昭和ください ブログ
昭和の 親切
2024年05月20日
昭和46年生まれ52才、高橋裕です。
今日は「昭和の 親切」で30分。
当時のお隣さんにして頂いていた、「電話の取り次ぎ」です。
我が家に電話が来たのは周囲よりだいぶ遅く、私が小学一年生の時の昭和51年でした。
それまでは、幼稚園や学校からの電話連絡など緊急を要する時は、お隣さんの電話にかかってくるようにして、わざわざ取り次いで貰っていました。
当時、二軒長屋の借家に住んでいて、お隣さんとは家族ぐるみのお付き合いをしていました。隣のお兄ちゃんには良く遊んで貰っていて、おじさんもおばさんも凄く親切。そんな良い関係だったので、電話を取り次いで貰えていたんだと思います。
私が小学に上がった時、姉はすでに中学生。学校からの連絡も増え、さすがにそろそろ電話を引こうとなったらしく、ようやく我が家に電話が来ました。当時は電話の加入権がまだ高価だったので、親も苦労したんでしょうね。
小学校の給食のコッペパンを、その日、用事等で休んだ児童の家まで、近くの家の同級生が持って行っていました。人数も今より多かったので出きたのかも分かりませんが、貧しい良き時代の小さな親切ではないでしょうかね!
私が幼い頃、おばあちゃんとお出掛けするため、バス停近くのお店でアイスを買っていたら、いつも10分ぐらい遅れるバスが定刻通りに到着したので、慌ててアイスの会計を済ませて急いでバス停に行きましたが、既にバスは出発していました。
おばあちゃんが急いで手を振りながら追いかけたら親切な運転手がバスを停めてくれて乗ることが出来ました。
昭和37年、我が家にはまだテレビがありませんでした。
私と姉はお隣の家に夕方の子ども番組を見せてもらいに行ってましたが、ちょうどごはん時なので、お隣の家のかたが親切に私達にも晩ごはんを出してくれたことがあって、次の日から私と姉は母の作ったお弁当を持ってお隣にテレビを見に行くようになりました。
今思えば弁当持参でテレビを見に行くのもなかなか図々しかったような…
昭和50年代頃、私が住んでいた大阪でも南の地域には親切というかおせっかいなおばちゃんが大勢おられました。
「いてるぅ~?」と声がした時には、もう家にあがって側まで来ていてビックリしたものです。
最初は少々戸惑いもありましたが、しばらくするとすっかり慣れて、そんな大阪のおばちゃんには育児などで随分助けられたなぁと思います。
ここ山口には、特に最近ではそんなおばちゃんは少なくなったのではないかと思います。
いい意味で、おせっかいな人生の先輩になれると良いなぁと思っています。
昭和の優しさと言えば、相手の受け身の技術の能力によって、バックドロップの投げる角度を変えていたというジャンボ鶴田さんでしょう!
あと、せっかくサーベルを口にくわえて来たのに、刺したりしないで、柄(つか)で殴るタイガー・ジェット・シンさん!これぞ、究極の優しさかと!
さて、次回5/26も「昭和の親切」で行きましょう。
山根さん曰く、もっとスケールのでかい親切話がないものかぁとリクエストしてますが、ちょっとしたものでも構いません、昭和の頃の親切話、お待ちしております!
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https://www.youtube.com/watch?v=R-hZFmzn2UI&t=41s
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